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カンボジアに小学校を建設してみた感想

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なんだか薄っぺらいタイトルでこんにちは。厚みが増すのは、お腹周りだけですね!人としての厚みが出るのは何歳からですか?もうすぐ、ぼく、30歳!

国際支援の意味。

途上国と呼ばれる国と関わり続ける意味。

よく聞かれます。

カンボジアの小さな農村部に、小学校が建った今でもよくわかりません。

「よくわからない」と言っても、感じていることや考えていることはもちろんあります。

そして、初めてカンボジアに関わった3年前から、ぼくの人生は確実に豊かになったと思います。

その豊かさというのは、「稼げるようになった」とか、「欲しいものが買えるようになった」とか。

そんな経済的、物質的な豊かさだけではありません。

百聞は一見にしかず、とはこのことか

ぼくは、2013年4月に初めてカンボジアを訪れました。

当時は、まさかカンボジアという国が、ぼくの人生にこれほどまで影響を与えてくれるなんて思いもしませんでした。

当時は今とは目的が違った、ということもありますが、あの日がなければ今のぼくはもちろんないわけです。

電気もガスも水道もない村での生活。

実際に渡航する前から、前情報はありましたが、「聞いたことがある」「知っている」というのと、実際に「見る」とでは雲泥の差がありました。

「知っているつもり」だったぼくは、当時「聞いたことがある」環境を目の前にして、とても大きな衝撃を受けたんです。

有名なことわざの「百聞は一見にしかず」とは、まさにこのことでした。

自分は何でも解決できると思っていた勘違い

行ったことある人はわかるかもしれませんが、ぼくが行ったカンボジアの農村部のような国や地域へ行くと、当然ですが日本には当たり前にあるものが、そこにはありません。

電気もガスも水道も、携帯の電波も、冷たい飲み物がすぐに買える自販機も、いつでもフラッといけるコンビニも、定時にやってきて目的地まで届けてくれる公共の交通機関も何もありません。

学校などの施設ひとつとってもそうです。

「これがあったらいいのに」

「こうしたらもっと良くなるのに」

そうやって、ぼくは、ぼくの基準で、そこにない何かを埋めようとしていたし、埋められる気がしていました。

今思えば、超浅はかな大馬鹿野郎です。

もし、当時からブログを書いていたら、ここに残しておくのも恥ずかしいくらいの、偏ったぼくのエゴがあったかもしれません。

そして、日本にはないけど、そこには当たり前にあるものに気付けていなかったんです。

いいことしてれば人は動いてくれるとは限らない

カンボジアって聞いてどのようなイメージがわきますか?

「地雷」「内戦」「貧しい」「不衛生」・・・。

ぼくも最初、そんな先入観で訪れました。

観光客の中には、ぼったくられるとか、嘘つかれるってイメージを抱える人も少なくないかもしれません。

これも事実の一つではあると、ぼくも思います。

ですが、そんなやつは世界中どこにでもいます。

ぼくが今抱くカンボジア人へのイメージは、人懐っこさと、働く人の笑顔です。

うざいってくらい人の面倒見たがるし、仕事中の笑顔がとても素敵です。

生きているなって実感をくれます。

ぼくの周りにはそんなカンボジア人がたくさんいました。

ぼくがやり始めた小学校建設だって、カンボジア人の力添えなしには絶対うまくいくはずなかったんです。

思い通りいかないことだって山ほどありました。

むしろ、そっちの方が多かったんじゃないかってくらい。

いつの間にか、もともと関係なかったようなカンボジア人まで、巻き込まれてくれて、嫌味や皮肉もなくみんな一生懸命取り組んでくれました。

「ユスケ、もっとこうした方が良い。」とか「これ頼んでおいたよ!」とか、みんなが一丸となって動いてくれました。

最後には「カンボジアの子どもたちのためにありがとう。」って涙を流して、感謝を伝えてくれた人までいます。

小さな愛が平和の連鎖を生む

自分一人ではできなかったことが、人の力を借りて達成できたことで、明確になったことがあります。

大切に守りたいひと、こと、ものがわかったんです。

わかったというか、忘れたり麻痺していたものが、正常になったという方が正しいかもしれません。

もともと関係なかった人たちが、同じ目線で動いてくれたことで、ぼくも周りの人のことを大切にしたいと思えたし、できているつもりだったことがいくつもあったと気付かされました。

関わったカンボジア人たちが「こんなことに困っている」と言い出したら、自分にできる何かを探すだろうし。

手伝ってくれた日本人たちが「こんなことしたい」って言い出したら、その実現のために一緒に必死になって考える。

それって、ぼくが関わった人たちが、ぼくに愛をくれたからだと思う。

だから、ぼくができることは惜しみなくやりたいって思える人が増えたし、そう考えるようになってますます時間もお金も使い方を意識するようになりました。

今回の小学校建設は人生の一部を懸けて、やってみてよかったと本当に思っています。

その先の未来がどんな方向に転がろうと、一生関わっていく覚悟と理由ができたからです。

守るべきものが増えたら、ほんの少しだけでも強くなれるのかなと思います。

でもぼくは元が弱いから、そんな大切な命や物すらも、当たり前になりすぎたら大切にできなくなる時があります。

親に吐いてきた数々の暴言

素直に聞けなかった恩師の言葉

一番近くの大切な人たちにに優しくなれないこと

そうやって大切な人や物から順に粗末に扱い。大して大切では無い小さなプライドや意地を頑なに守り、大切な人や物から自ら遠ざかり気づいたら一人ぼっちになっていて、誰もそばにいてくれない。自分には何もないと嘆き出す。

ぼくはもしかしたら、カンボジアと出逢わなければ、そんな寂しい人生になっていたのかもしれません。

そんな人生にならないように、カンボジアに小学校を建てるという活動を通じて、大切にするべきもの、守るべきもの、愛するべきものを教えてもらったのだと思います。

ぼくが考える国際支援の意味

今でも国際支援という言葉は嫌いです。

でもうまい言葉が見当たらないので、ぼくがしてきたことを『国際支援』という言葉に置き換えるなら・・・

国際支援の意味のひとつは、忘れていた幸せや豊かさを教えてもらうことなのかなと思います。

支援しているように思われている人が、支援されているように見える人たちから、実はたくさん大切なことを学ばせてもらっているのだと感じるのです。

そして、途中にも書いたように「内戦」とか「地雷」とか、そういう悲しい歴史のイメージはまだしばらく消えないのかもしれません。

でも、そんな悲しい時代をも乗り越えてきたカンボジアだからこそ、人への接し方が温かいのかもしれません。

そう考えると、戦後の日本だって悲しい時代を乗り越えてこそ、今の発展があるのだから、希薄な人間関係とかって最近作り出されたというか、もともとあったものが忘れ去られた結果なのかなと思います。

もしかしたら何年後、何十年後にカンボジアも発展を続けたら、日本と同じように寂しい人間関係が生まれてしまうのかなって感じました。

ぼくらのように関わる日本人がカンボジアに伝えられることって、もしかしたらそこなのかもしれません。

発展と続けた日本が手に入れたものと、忘れてしまったもの。

どれだけ時代が変化しても、技術が発展して便利になっても、忘れてはいけない大切なもの。

それを「途上国」と言われてしまう国から消さないことも、「先進国」と呼ばれる国に生きるぼくらの使命の一つなのかなと思います。

先進しているはずが、同じ過ちを繰り返させたら、何も進んでいないことになるし。

技術の発展や時代の変化伴って忘れ去られた大切なものを忘れさえない。これが、ぼくが考えるカンボジアと関わる意味です。

人生は「人に生まれ、人を生かし、人に生かされ、人を生む」と言う言葉を聞いたことがあります。

ぼくは人として生まれ、人に生かされてばかりの人生です。

この先少しでも、人を生かし、人を生む存在になっていきたい。

ぼくのことを生かし続けてくれた皆さんに心から感謝します。

いつも応援してくれている方々、皆さんの大きな愛情と行動で、ぼくの命は救われて、今を生きています。

本当にありがとう。

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