ブログ記事移行中▶︎「NEWストライクゾーン」

ググることすらもできない人が海外で働いていますとグローバルっぽく言えちゃう時代

当サイトでは、アフィリエイトリンクを使用して商品の紹介を行なっております。

現在の世の中では、ぼくらは自分の力で簡単に世の中の情報に触れることができます。

手のひらの中に収まる「スマートフォン」というアイテムを持っていればなおさらのこと。

超情報化社会とかグローバル化とか言われるようになってしばらく経ちましたが、そもそもグローバル化が進んだり、情報が溢れたことによって、ぼくらの身の回りは今後どうなっていくのでしょうか?

何を知っているか?は意味を持たない時代

調べれば簡単に情報にたどり着くことができる時代。

もはや、何を知っているか?はあまり意味を持たない時代をぼくらは生きています。

例えば、ぼくが関わっているカンボジアの農村部はまだまだライフラインも整っておらず、テレビを持っていない人たちも多くいます。

ですが、スマホを持っている人たちはいます。

スマートフォンで様々なアプリをダウンロードして、世界中の情報に触れている人たちがぼくの身の回りにはたくさんいます。

それだけいろんな過程を飛び越えて、アジアの農村部でも世界レベルで配信されている情報にたどり着くことができる時代が進んでいます。

どこで暮らしていようと、自分で情報を集めて、自分で考えて行動する力が求められます。

「人と同じようにしていたら大丈夫」ではなくなっているのです。

何を知っているか<何を信じているか

ただし、出回っている情報は正しいものもあれば誤ったもの(故意かどうか関係なく)もあります。

これだけ多くの人が世界レベルの情報に触れられるからこそ、何を知っているか?よりも何を信じているか?の方がよっぽど大事になって来ます。

その情報を信じるためには、自分の知らないことを調べる能力、そして誰からどうやって情報を得るのか?という人脈、そして信じるためにどんな取り組みをしているか?という行動力にも関わって来ます。

「情報弱者」と言われる人たちがいるように、情報を持っていない人たちをターゲットにしたマーケットも今後ますます増えるのかもしれません。

それだけ情報格差は、この先の未来で個人に与える影響の大きさを物語っていると感じるのです。

調べもしない他者依存の生き方

いろいろ前置きが長くなりましたが今回感じて記事にしていることは、「自分で調べることもしない他者依存のあり方の危険性」です。

例えば

「カンボジアのおすすめなんですか?」

それだけ聞かれても、ぼくもなかなか答えようがないです。

「あなたが求めているおすすめ情報は、食べ物ですか?観光地ですか?お土産品ですか?」

知らないことは、知っている人に聞くのが早いです。まちがいなく。

ただ、それにはあくまで、自分なりに調べたり考えたりした結果、わからなかったことを要点をまとめて聞く、と言うことだと思うのです。

何も調べずに、考えずに、人にただ聞いて言われた通りにする。

そこにお金や時間を使う価値は本当にあるのでしょうか?

知らないことがあることがやばいのではなく知らないことをそのままにすることがやばい

知らないことなんて、この世の中にはたくさんあります。

いくつになっても新しい発見ばかり。

だからこそ、知らないことを知らないままにする、知っているふりをする、調べもせずにやり過ごす。

こういう生き方が一番「やばい生き方」だと思うのです。

読めない漢字がある、知らない英単語と出会った。

それは、誰にでも起こりえますよね?

今日までは知らなかった自分だけど、明日からはそれが読めたり、理解できるようになればそれだけで自分の知識は広がっていくし、そうやって広げた自分なりの知識、技術、経験がかけがえのない財産だということです。

同じように、知らない物事があることが恥ずかしいことではなくて、知らなかったことを知らないままで良しとすることの方が恥ずかしいことで、自分で自分を変えようとしないつまらない生き方だと思うのです。

大したことないのに大したことしているように錯覚してしまう海外生活の罠

ぼくは今、たまたまカンボジアという異国の地で働きながら暮らしています。

それだけ聞くと「すご〜い」と言われてしまうことがありますが、実際はどこに住んでいようがすごいことも、すごくないこともなくて。

みんな自分が決めた場所で、今生きている。

それだけなんです。

なのに、海外にいるってだけで何かすごい自分でいる気がしてしまう。

日本にいたらできないことをしているような気がしてしまう。

全部錯覚です。

海外に住むこと、英語を使って仕事をすることがグローバル化に対応することではないです。

海外に住んでいても働いていても、自分で情報に触れて考えていないと、全然時代に付いていけていません。

この錯覚には絶対陥りたくないなと、いつも立ち止まって自分を見つめ直すきっかけになります。

まとめ

情報は得て終わりではありません。

得た情報を自分なりに解釈して、足りない情報を足したり調べたり、いろんな作業が必要になります。

ですが、その過程で少なからず自分の知識は高まっているし、考える力が伸びています。

触れた情報を鵜呑みにせず、考える力こそが自分の未来を切り開く鍵にもなるし、まずは自分で調べてみたという行動こそが小さくても確実に前に進む一歩になります。

自分で動いたり考えたりする癖を持っていないと、甘い情報に惑わされて情報弱者として苦い思いをすることにもなる。

情報というものに関しては特に、他者依存はできない部類なのだと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です