カンボジアに小学校を建設するために立ち上げたクラウドファンディングは、およそ二ヶ月間で300万円を超えるお金が集まった。
目標達成の喜びや安堵感は一瞬で、すぐに湧いて出て来たのは人から集めたお金への責任だった。
自己資金だけでは達成できない目標が、人の力によって実現できるところまで来た。
資金調達が目標ではなかったからこそ、余計にそう感じたのかもしれない。
だからこそ、次に何か企画を起こす時には自己資金でやれる仕事がしたい。
そう感じて、もう二度とクラウドファンディングやるもんか!って言っていたのに、今こうして二度目のクラウドファンディング企画を出している。
怖かったのは期待以上のものを生み出す自信がなかったから
クラウドファンディングは、寄付や募金ではない。
適正にリターンが設定されているため、集めた資金の一部はパトロンへ何らかの形で還元されることが多い。
だからこそ、社会的に意義のありそうな名目を掲げれば、支援が集まるかというとそうでもない。
プロジェクトを起こす人の信用に関わっている。
これまで何度もクラウドファンディングを活用して様々なプロジェクトを立ち上げて来たキングコングの西野さんも、著書の中で「積み上げた信用を現金にして引き出すのがクラウドファンディング」みたいなニュアンスのことを言っている。
まさにその通りで、同じ企画でも誰が行うかで結末は大きく異なるのだ。
ぼくが前回、受け取ったお金が怖いと感じたのは、まさにそこがわかっていなかったからで、単純に金額どうこうの話ではない。
企画を立ち上げた自分自身が、寄付や募金を募る気持ちで行なっていたことにサクセスしてから気付いたのだ。
幸い、ぼくの活動を信用してくれた方々から多大な支援を受けることができたが、それで学校が建てばいいということではないということに気付いたのは、情けないことにその後のことだった。
「クラウドファンディングをしておいて贅沢してちゃダメじゃない?」
サクセス後、そう言われることもあったりした。
だけど、心のどこかで「寄付してもらったわけじゃねーし!」って思いながら、自信持って答えることが当時はできなかった。
信用で勝ち取った資金に対して、自分に自信がなかったから。
積み重ねて来たことが自信に変わったから
そんな想いを払拭して、再度クラウドファンディングを行おうと思えたのは、積み重ねて来たことひとつひとつが、偽りのない事実だったから。
それは、ぼくだけのものでなく、ぼくと一緒に未来を見て来てくれた人のものでもあるから。
やってきたこと、やっていることが正しいのかわからなくて不安だった時期もある。
だけど、もしどこかで道を間違えても、正しい方向を探しながら、何度も軌道修正していくだけのこと。
だから、自分の意思をコンパスに歩んで来たこれまでのことに自信が持てたし、これからも進むべき道を自信持って先頭を歩きたい。
何者にもなる必要はなく、ぼくはぼくのまま。
背負うべき責任は背負うし、果たすけど。
身勝手に背負いこんだものは取っ払って、おもしろいこと、楽しいことにまっすぐ進んでいく。
だから、もう一度、多くの人がこうなればいいのにって思っているけど、なかなかそうならない現実に対して、体当たりをしてみようと思った。
一人じゃ何もできない人間だから
人は、当たり前かもしれないけど、一人で生きていくこともできない。
ぼくは、たまに、何でも一人で突っ走ってやっていると思われるけど、実はそうじゃない。
特に年下とかからは、手がつけられないくらい遠くの存在だと勘違いされるけど、そんなことない。
そう見えるのは、そう見えている人の知らない誰かが変わらずぼくを助けてくれているから。
今、ぼくがやっていること、やってきたことを、いいなって思ってもらえるとしたら、それはあんまり目の届かないところで支えてくれている人がいるから。
だから、ぼくはいろんな人の想いを背負って、やれている。
ただ、それだけ。
本当に一人でやっていたら、とっくにもう孤独に耐えられずへこたれている。
それくらい、弱い人間なんだ。
だから、これからも、この世の中にあんまりないこと、人が無理だということ、前例がないと跳ね返されて来たことに対して、挑戦できる大人でありたいし、そんな姿を見せていきたいんだ。
そして、支えてくれている人たちに、ぼくと一緒にいてよかったって思ってもらえるところまで行きたいんだ。一緒に。
だから、まだまだみんなの力が必要です。
ぼく一人じゃ絶対にできなかったこと、これからも一緒に形にしていくから。
どうか、力を貸してください。
お願いします。
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