ノマド的なライフワークは目標ではなく手段だったから続けてこれた【カンボジア移住計画前編】

もともと日本とカンボジアを行ったり来たりするようになった頃から「世界のどこにいても仕事ができる状態」を生み出せたらな〜と考えていた。

そして、その仕事は好きなもので溢れかえっているのが理想だった。

でも、最近になって感じるそれは少し違っていて、ぼくがこれまで移動生活で培って来た生きる基礎は、大好きなカンボジアでこれからもやりたいことやるための下積みだったということ。

だから世界一周とか、そういうことに対する熱が急に冷めたのもここ1年くらいの話。(2018年現在)

こうやってブログを書いて生活すること、それ自体は簡単なことではない。

すごく簡単そうに短期間で成り上がったような勢い溢れる若い子たちもいるみたいだけど、ぼくはとても遠回りをした。

だけど、そんな容易でもないことを遠回りしながらも続けてこれたのは「ブロガー」になりたかった訳でも、「ノマドワーカー」になりたかった訳でもない。

ブログを生きる基礎にして、「パソコンとネット環境があれば」という状態を作り出すことは、本当にやりたいことのための手段だったから。

きっと「ブロガー」を本気で目指していたら、途中で挫折していたと思う。

理想の生き方を追求する途中で、テクノロジーの恩恵も受けて、今このようなライフスタイルが実現しているだけのことだから。

可能性をかき消す大人になりたくなかった

カンボジアに小学校を建てると決めて日本に帰国した際、人に話をすると「生活(お金)はどうするの?」「やる意味あるの?」「せっかく安定した仕事していたのに突然なにを」という人が多かった。

中でも一番(悪い意味で)響いた言葉は「別にお前がそんなことしなくてもいいんだよ」って言葉だった。

「は?なにそれ?やりたいことやっちゃダメなの?」

いい大人が、もう少し上の世代に食ってかかった。

無理だとか、意味ない、っていうのは大概やったことがない人たちがいう言葉。

きっと、挑戦している姿が自由に見えて羨ましくもあるのだと思えるようになったのは最近のこと。

だれかの夢とか目標を「意味ない」なんて心無いこという大人になりたくないし、自分がなにもしないで人のやっていることを羨んでいるのもごめんだ。

だから、自分が挑み続けることは、この先いくつになってもやめたくない。

続けていれば誰もなにも言わなくなる

人から「無理だ」って言われたことも、自分なりに続けていると次第に誰も何も言わなくなる。

そんなものだ。

昔からぼくを知る人たちは、今では「北川勇介=カンボジア」くらいのイメージを持っているはず。

実際にカンボジアでどんなことをしているか?まで詳しく知らなかったとしても。

小さな肯定を続けていると、それは次第に確信に変わる。

自分がやっていること、やってきたことが間違いではなかったという確信。

それがやがて信念に変わると、不思議と物事はジャストタイミングで動き出す。

だからこうしてブログというものを通じて発信をし、仲間を集めている。

「ここ一発」が来た時に一緒に動ける仲間を。

本当に大切にしたいことはなに?

「どうやったらそんな働き方ができますか?」と言われるけど、本当に大事なのはそこじゃない。

こういったライフワークを手に入れた時に、本当にやりたいことは何か?を自分が知っていること。

ぼくだって、最初からこんな生活が成り立った訳でもない。

途中でも言ったように、いろんな遠回りをしながら、やっとの思いで今がある。

だけど「ここまでやればいいか」ってのもないから、結局「昨日の自分よりさらに上のステージへ今日行くにはどうしたらいいか?」ってことを常々考えて実践して来た。

どうやってなったかわからないけど、好きなことをしていたら勝手になっていた話という記事でも書いているけど、やるべきことを先延ばしにしないでやることが大事。

やること先延ばしにしたら、夢の実現も先延ばしになるから。

ぼくもまだまだ夢の途中。

これからも、「無理だ」とか「前例がない」って世の大人たちが言いそうなこと、積極的に挑戦したい。

だって、本当はみんなわかっているはずだから。

「こうしたらいいな」ってことがあっても、なかなかそうならない社会の現実に対して、自分が何もしていないだけじゃね?ってこと。

ぼくにとっての「たいせつ」がいっぱい詰まったカンボジアでやりたいこと山積みだから、生きる根っこはもっと太くて丈夫な方がいい。

かっこいいことしたい訳じゃない。

ただ、好きなこと、やりたいことをやりたいだけだから。

せっく自分の心から湧き出た気持ちに対して、追い込みすぎたくないだけなんだ。

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