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コラム じぶんごと

人生で大切なことのほとんどは野球を通じて学んだのに、人には教えられなかったぼくの失敗談。

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同校のOBとして、そして本当の意味での厳しさを教えられなかった元指導者として、書いておこうと思います。ぼくの失敗談。

 

 

2009年3月に日本体育大学を卒業したぼくは、その年から静岡県の公立高校で常勤講師として勤務をし始めました。

 

保健体育科の教諭となって生徒を指導する。

 

同校の同志であれば、多くの人が一度は感じたであろう夢に向かって、講師として教育現場で働きながら、採用試験突破に向けて勉強の日々でした。

 

今こうして現場を離れて感じるのは、ぼくが正式に採用されなかったのも、必然と言えば必然だったのかなということです。

 

縁がなかったとか、タイミングが悪かったとかではなくて、単純に教育者にはふさわしくない人間だったということです。

 

当時はぼくを採用しない教育委員会を「見る目ね〜」とかって大した実力も実績もないくせに調子乗ってましたが。

 





小学校3年生から野球漬けの日々で育ってきたぼくも、指導者から厳しい指導を受けるということは、もはや当たり前のことでした。

 

監督の目を気にして練習することも、怒られることを恐れて無難にこなすことも、先輩のイビリが本当に嫌だったことも、何度もありました。

 

ミスして罰走とか、ペナルティーとか、ビ○タとか、本当に体調悪くても休めない雰囲気とか。

 

不思議だったのは、ぼく自身はそれが嫌で野球をやめたいと想ったことは一度もないということです。

 

できないから言われる。

できないからできるまで練習する。

先輩とはそう言うもん。

 

そう思っていました。

 

14年間の選手生活の中で、一番辛かったのは中学校の時に言われた「野球が下手なくせに背番号もらえるのは監督のお気に入りだから」っていう仲間達からの言葉でした。

それくらいです。

 

今お会いしても、電話しても、声が上ずって手が震えるほど緊張して、電話の後とか手汗、脇汗MAXな指導者の方達ばかりですが、恨みとか別にないんです。

 

もちろん、厳しさの意味もわからず勝手に距離を感じて、反抗してヤサグレた時期はありましたが、野球というものを通じて出会えた指導者の方達がいなかったら、今のぼくはもっともっと甘ちゃんだったと思います。

 

何で今そう思えるか。

 

当時は気付かなかった愛が、大人になってからわかったからです。

 

逆にいうと大人になるまで気付くことができなかった。

 

これがぼくの失敗だったのかなと。

 

なんで大人になってから気付いたか。

 

野球選手を離れても人生の中で大切なことのほとんどは、野球を通じて習ったことと同じことばかりだったからなんです。

 

夢中になることも、諦めないことも、好きなことを言い訳にしないことも、一人でできないことを超えていくための協調性やチームプレーも、他人や環境のせいにしないことも。

 

書ききれないほどたくさんのことが野球(スポーツ)には詰まっていたこと、球道は人道に直結していたことに大人になってから気付いたんです。

 

そして、何より野球を離れてからも自分で道を切り開いたり、課題解決のための知恵をひねり出したり、人から必要とされたり、応援される人間になるための人としての基礎を野球を通じて築いてくれていたのだと。

 

大人になってから気付いたことを、ぼくは自分が受け持った部員たちに同じことをしてしまっていたんです。

 

自分が大人にならないとわからなかった伝え方で、子ども達に伝えていたんです。

 

自分が理解できもしなかったことを子ども達には求め、厳しさの裏の愛情なんて感じれないほど、単純に追い込んでいただけなのかなと。

 

もし、当時の教え子が読んでいたら、ごめんなさいね。本当に。

 

 

勉強にしても、仕事にしても、きっとそうですよね。

 

自分ができないこと、わからないことなんて教えられるはずがない。

 

教えられるはずがないのに、教えようとしていた、教えている気になっていただけなんです。

 

そりゃ受かるはずもねーなと。

 

子ども達に伝わるはずもねーなと。

 

今、そう感じるわけです。

 

 

リトルの時の監督も、高校野球の監督もすげー厳しかったし、怖かった。

 

多分リトルの時の監督が、人生一怖かったかな。

 

自分が幼かったってのもあるし。

 

でも、自分が指導されて印象に残った言葉って今でも残っているんです。

 

全然色褪せないし、むしろ糧になっているというか。

 

 

そういう教育的愛情を伝えることができなかったことが、ぼくがお世話になった指導者の方達との指導と、ぼくの指導の差なのかなと。

 

経験値とか知識とか、そんなん抜きにしたとしても。

 

 

そして、自分が選手時代に言われた言葉や教わった指導法の数々。

 

10年以上も前はそれが良かったのかもしれない。

 

ただ、10年以上も前に言われたことを、10年以上経った当時もただ同じ口調で言っていただけの薄っぺらい自分の言葉。

 

時代錯誤も甚だしい上に、中身のないコピぺの指導。

 

あまりに他を知らない小さな世界で生きてたんでしょうね、当時のぼく。

 

そんなぼくが生徒達に何が残せるんだ。って思います。

 

残せるのは嫌な思い出だけだよって。

 

 

幸い、命を落とす生徒はいなかったけど、もしかしたらぼくのせいで野球が嫌いになった人もいるかもしれませんね。

 

中には「先生のおかげで」って今でも年賀状くれる子達も何人もいます。

 

結婚式に呼んでくれた子もいます。

 

でも、やっぱり自分が一番好きな野球を、辛い思い出にさせてしまうことが一番心残りです。

 

こういう記事を読むと「教師の質」について言及する意見も出ますが、ぼくの周りには尊敬できる生徒思いの先生達がたくさんいました。

 

そして、今も変わらず現役で最前線で生徒と向き合っている先生方を尊敬しているし、同じ業界に飛び込んで四苦八苦しながらもがいている同世代(先輩後輩含めて)もたくさんいます。

 

「最近の教員は」なんて一括りにできないほど、生徒思いで人望の厚い先生だってたくさんいます。

 

 

ぼくが卒業した日体大の今回の企画。

 

もしかしたら勇気のいる企画だったのかなとも勝手に思います。

 

「筋肉バカ」とか「肉体大」とかいじられてしまうような学校ですが、ぼくがここで得たものは大きすぎます。

 

これまでのスポーツ精神として良くも悪くもいろんな伝統の残る母校が、こうやって現代のスポーツや教育現場の問題解決のために大々的に取り組んだことは、OBとして誇りに思います。

 

 

こんなぼくが言うのもアレですが、スポーツの本来の語源にもあるように、「楽しみ」を見いだせる時代が来ることを願っています。

 

それでもやはり「勝負事」でもあるから、勝つ喜び、負けた悔しさ、結果に繋がる正しい努力、目標に向かって頑張った後に残る人生の財産を教えつつ、その勝負すらも楽しめるエネルギッシュなアスリートと、魅力溢れる指導者が母校から今後多く輩出されることを期待して、陰ながら応援していようと思います。

 

とか書いてたら、郵便物で日体大同窓会の会費支払いの案内が届いてました。笑

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ぼくが母校に返せるのはこのくらいなので、会費くらいきちんと払ってこよう〜

 

 

そんな感じで。

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