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コラム

日本の優先席から考える海外ボランティアの変なとこ

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僕は昔っからボランティアとか、優先席とかって言葉が嫌いでした。

 

なんかそれってすごいエゴな気がしていて。

 

本来、誰かの役に立つことって誰もがしていて、それが使命とか当たり前になってくるから、偽善とか偏見とかが出てくるのだと僕は思います。

 

優先席の事例から考える

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例えば、電車に乗っている時に、目の前に妊婦さんが立ったら僕はきっと声をかけると思います。

そこが優先席じゃなくても。

 

そこで座るか、断るかは聞かれた人の自由だ。

「せっかく声かけたのに座らないのかよ!」ってのもお門違いな話しだし、押し付けるのではなく提案したらいいだけのこと。

 

譲るべきだ、譲らなくてはいけないという、半ば強迫観念のようなものが僕らの行動の一部を煽っているけれど、そんな「特別扱い」みたいなことするから、僕らにも偏見が生まれてくる。

 

体調が悪くない妊婦さんもいる。

体力のある高齢者もいる。

障害の程度が軽い人だっている。

 

それよりも

 

毎日残業続きでしんどいんだ。

風邪ひいていたって会社は休めないんだ。

子供のお迎えしてご飯の支度をして休む暇もない。

 

そうやって「しんどいのはあなただけじゃない」的な偏見が生まれてしまうこと自体、僕は寂しい世の中だと思うし、自分だって苦しいんだって見せれば何でもありみたいになっているけど、それって実は悲しいこと。

 

悲壮な部分を見せたって何も得られないし、心がどんどん沈んでいくだけだと思うんです。

 

 

席をゆずることも、譲ってもらうことも当たり前じゃない。

奇跡の連続で優しさが連鎖しているだけなんです。

 

仕事がしんどいなら、別に席をゆずる必要はない。

座っていればいいだけ。

 

ただ、自分が元気な時に目の前にしんどそうな人がいたら、声をかける。

それだけで十分暖かい世界が創られるはずなのに、声をかけることすらもしなければ、声をかけたのに断られたなんて憎悪に変わることだってある。

本当変な価値観だ。

 

できることを、できる人が、できる範囲でやるだけで世界はもっと明るくなるのに、偏った価値観によって世界はちょっとずつ狂っていく。

 

海外ボランティアについて

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前振りが長くなったけど、こうやって優先席の事例を挙げてから、海外ボランティアのことを考えると、すごく不思議なことが出てくる。

 

満員電車の中の世界を、疲れている人になるべく座ってもらうことを幸福の実現、と仮定したら、そこで尽力することは元気な人が席をゆずるというそれだけのことでいい。

 

元気がないなら、体調が悪いなら、若者だって無理することはないんだ。

無理したことによって、かけなくていい迷惑を他の誰かにかけるかもしれないから。

 

 

それなのに。

海外ボランティアになると、体調が悪くても、自分がきつくても頑張ってしまう人が多くいる。

目の前の人の役に立っているんじゃないか的な感覚が、自分を気持ちよくさせてくれるからなのだろうか。

 

 

それから、全く関係のないことの押し売りもある。

現地が求めていないような日本文化の押し付けだ。浴衣着せたいとか、書道を教えたいとか、そういう話は僕もよく聞く。

 

それをしたって、現地の生活は変わらないし、望んでもいないことを平気で「現地のため」とか言っている。

僕は自分のためじゃないの?って思ってしまう。

少なくとも僕には、現地のためになるイメージがわかない。

 

それならまず、

「座りたい」という満員電車の要望の中で、全然関係ないジュースでも配ってみたらどうですか?

最初は喜んでくれたとしても、当たり前になってきたらどうなるでしょうか?

 

「疲れているのに余分な荷物持たすなよ!」

「今俺は喉の渇きより、座って足を楽にしたい!」

そんな声の中でも、ジュースは美味しいから飲んで欲しいってそんな自分の気持ちと、自分にとっての「イイモノ」だけで「イイコト」を続けることができますか?

 

受け取ることへのありがたみを感じない中でも、それを毎回続けることができますか?

続けることは難しいでしょう。少なくとも僕は無理です。へなちょこなので。

 

一時的なことだって自分でわかっているから無理もできるし、喜んでくれるなら何でもやれる気になるんです。

一時的でいいなら、ある程度なんでもできるし、無理もできます。

 

でも関わるって違います。

 

共に生きて、共に笑うのは一瞬ではありません。

関わるには責任が伴います。

始めたこと続けるには覚悟が必要です。

 

思いつきでできるほど、共に生きることって簡単じゃないんです。

 

まとめ

でも、思いつきで参加できちゃうのも海外ボランティアなんです。

だって、それがビジネスになってしまっている現代ですから。

 

ボランティアをビジネスにしていたら、一生埋まらない差があるんでしょうね。

そして活動に矛盾が生じてきます。

 

世界の子供を救うための活動によって、全員が救われたら、その団体の人たちはどうやって飯を食うんでしょう?

ボランティアが必要ない場所にしたいって言うけれど、それが実現できたらどうやって生活するんでしょう?

 

僕はこの矛盾を埋めることができないから、ボランティアでビジネスすることに賛同できないんです。

 

それよりも、できることをできる範囲でやる。

活動の派手さとか、資格とか、そんなの関係なく、誰と何をやるかで変わってきます。

 

自分が活動することが何のため?誰のため?なのかは考えたほうがいいと思います。

ボランティアしたい!なんて決意するよりも、大切にするべき目の前のことを忘れたくないんですね。

 

 

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