海外生活だけでなく日本でもそうかと思いますが、日々生きていると思い通り行かないことが目の前に降りかかって来ます。
それが海外にいるとより顕著に感じたりするわけですが、そこは言葉とか文化とか風習とか、ぼくら日本人の中で「常識」として凝り固まった枠の外にあることなので、余計にそう感じたりするのだと思うますが。
最近では、カンボジアで経営しているFelice Coffeeが電気トラブルに見舞われていて、数日間営業できない状態になっています。
ものすごく大きな痛手ではありますが、順調に行かない時ほどその解決策を知るということを含め、より一層強く生きていくチャンスが潜んでいます。
今日はそんなお話です。
文化や常識の違いはあってもすぐに動くことに変わりはない
今回の電気トラブル、不幸中の幸いか否かはわかりませんが、カンボジアのお盆「プチュンバン」とがっつりぶつかりました。
カンボジアは一年を通して祝日がものすごく多い国であり、祝日になるとそこら中のローカル店はこぞって店を閉め、街がとても静かになります。
そのため今回のようにトラブルに見舞われても、業者はすぐには動いてくれないなんてことは珍しいことではありません。
ただ、全てのお店が閉まっているわけではないので、一応駄目元であろうと確認をしてみないことには待っているだけでは一向に解決はしません。
可能性があることを一つずつ行動する。
これはきっと国内外問わず、どこにいても大切なことであって、行動なしに道は拓けないということです。
案の定、プチュンバン期間ということで対応してくれる業者は見つからず今に至るわけですが、動いてみてやっぱりダメだったことは、動かずに「ダメだろう」と推測で終わらせたこととは収穫が違います。
今後は大型の連休に入る前に様々な設備を点検しておこう!という前向きな対策を練ることに繋がるからです。
行動の動機が何か?で人の本音がわかる
行動が求められる時にすぐ動ける時と動けない時があると思います。おそらく多くの人が。
すぐ動ける時は動機が自分にとって価値を感じやすく、一方ですぐに動けない時は自分にとって価値を感じないかもしくはめんどくさいと言った感情が先行している時ではないでしょうか?
それは「自分は何を大切にしているか?」という本音でもあります。
本当に大切なものは後回しにもできないし、めんどくさいって感情とは繋がらないと思うからです。
緊急性と重要性の違い
今回のカフェのように「営業ができない」という何らかの事態に対して、対策としてやらなくてはいけないことの中に「緊急」なものと「重要」なものがあります。
何を優先し、今何をするべきなのか。
営業ができないという事態に対して、営業するために今一番最初にしなくてはいけないことは何か?
考えられる対策を掘り上げていけば、緊急でやらなくてはいけないことが見つかります。
それが見えているのに動けない。ということがもしあれば、きっとそれは営業を再開するために本気ではないのかなって思ったりするわけです。
まとめ:トラブル続きの時こそ思わぬチャンスが広がっている
あらゆる可能性に対して動いていると、必ずそこには助けてくれる人が現れます。
「ここは確認した?」
「あの人詳しいだろうから電話して聞いてみようか?」
「ここの会社ならやってるかもよ!」
と言った形で、多くのサポーターが現れます。それは時にお客さんの誰かだったり、同じ在住の日本人だったり、交流のあるカンボジア人だったり。
「困っています」って言った時に動いてくれる人。
それはきっと一生懸命営業しているのをみていてくれた人たち。
だからこそ、また再開した時には「できてよかった」だけでなくて、さらにお客さんを満足させる一杯を追求しなくてはいけないなと。
もしかしたらその一杯は、同じように困っている人の元へも届くかもしれないから。
思わぬところで誰かに助けられて、思わぬところで誰かを助けている。
生きるってそういうことなんだろうと思います。
1人では、自分たちだけではできないからこそ、もっと人を思って動ける時間を大切にしたいと思ったいい機会でした。
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