「自分はすごく変わっていると思っていたけど、ゆーすけさんと話すと普通に思えました」
これたまに言われます。よくわかりません。そう考えているあなた、十分変わっていますよ〜。
と言うより、変わっていない人っているんですかね?
同じような考え方や生き方をする人でも、全く同じってことはないし、むしろ何でもかんでも同じだったらすごく気持ち悪い。
考える力こそ人間に与えられた資源なのだから、もっともっと考えや意見はたくさんあっていい。
もっと言うと、生き方はもっともっと多様でいい。そう思います。
もっと自己表現をしよう
自分というものを表現しようと思った時に適切に表現できるだけの、言葉と実を持った方がいい。
「私変わり者なんですよ〜」ってぼくからしたら全く何も言っていなくて、「何がどう変わっていて、何しているのか?何を考えているのか?」が伝わってこそだと思います。
「言葉にできるは価値がある」と言われたりもしますが、結局表現できない時点で価値は伝わりません。
変わっている、自分とは違うってことは言われなくてもわかっています。
だからこそ、伝える言葉の力が必要になってくるし、いいぱなしだと嘘になるから言動が一致する生き方が求められてくるわけです。
変わっている=みんなと違うことをしている、特別だと思われたい
そう考えていくと自己表現できない人たちがこぞって自分のことを「変わり者」と呼ぶこと自体に疑問が湧いてきます。
伝える力はないけれど、自分は人とは違うんだ。特別なことしているんだ。ってことを言いたいだけなんじゃないかと。
要するに認められたい、自分というものを集団(社会)の中で確立させ(てもらい)たいのだということです。
「ゆーすけって〇〇な人だよね〜」って人から言われると、なんとなくそっちの方向へ向かい始めます。
言われて嬉しいことならなおさらのこと。
人ってそんなもんです。
「変わっているよね〜」って言われたことで何か特別感を得ているかもしれませんが、変わっていること自体はいわば普通のことであって、何がどう変わってるのか?を追求できてこそ、自分の個性になります。
みんな違うことがもはや当たり前
自分の身も周りには、自分が生活する街の中にはいろんな人がいます。
その人たち全員が、自分とは違う考え方をして生き方をしています。(近しいものはあっても)
だからこそ、人それぞれ大事にしていることも違います。
「これだけ人はそれぞれ違う」ってことは考えればすぐわかることなのに、人とは違う何かを求めて自分の欲を満たす人がいます。
目立ち方、個性の主張の仕方を間違えるいい例にもなるやつです。
「みんなと違うことしている=すごいこと」でもなんでもないです。
だから海外にいることも日本にいることも、雇われて働くことも独立して働くことも、似たような生き方・働き方があるだけでみんな違います。
何がすごくて何がダメ、何がよくて何が悪いなんてないです。
どれも普通じゃなくて、みんな違っている。
褒め言葉も人それぞれ
「かっこいいね・かわいいね」だけが褒め言葉ではないように、みんながそれぞれ大切にしている自分の芯も必ず違うはずです。
ぼくは「おもしろい」「バカ(になれる)やつ」「全力野郎」とか言われると「へへへへへ」って照れてしまいます。
「イケメン」って言われることの数千倍嬉しいです。
それがきっとぼくが大切にしている「生き方の根っこ」の部分。
そしてそれすらもみんな違うのだから、特別になろうとか特別なことしようとしなくてももう特別なんですよ。
それでも自分は平凡だ、もっと特別だと思っていたって感じてしまう人は、人からどう見られるかよりも大事にするべきことがあるんじゃないですかね?
ぼくはそう思います。
自分のこと「変わり者なんで〜」って言うなら、どこがどう変わっているか表現できた方がいいですよ。
そしたら人に伝えられる自分の価値が高まるから。
ただ「変わっている」と言っても何も言っていない。
コメントを残す