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途上国に小学校を建設することそれ自体は夢にも目標にも値しない

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日本へ帰るってことを書くと「会いたいです」「お話聞かせてください」というお問い合わせが増えます。で、二言目には

  • 東京まで来られる時教えてください
  • 関西方面に来る予定はありますか?

などと言われますが、なんで会いたいなら自分から来ないんだ。

あと、そういったお問い合わせってSNSなどのDMとかがほとんどなので、どうしてもお問い合わせいただいた方のプロフィールとかに目が行ってしまいます。

そうすると「途上国に学校を建てたい」とか「貧困地域で働く」とか「子どもの笑顔を見ることが夢」とかって書いている人に興味を持ってもらうことが割合として多いんですが、小学校を建てることも貧困国で働くことも、「それ自体は夢にも目標にも値しないのだ」ということは、ハッキリ言っておきたくて記事にしました。

ちょっと読み進めてみてください。すぐに矛盾に気がつくから。

小学校建設は手段の一つ

もしも「途上国に学校を建てること」が誰かの夢や目標として設定されるのであれば、その夢や目標を叶えるためには「学校に通えない現状」がこの先も続かなくてはいけません。

  • 「紛争問題の解決」が夢なら、紛争がおきていないとその夢は叶えられない。
  • 「女性の社会進出支援」が夢なら、女性が社会の中で活き活きと働いていてはその夢は叶えられない。
  • 「子どもたちを笑顔にしたい」と思うなら、笑っていない子どもたちがいないとその夢は叶えられない。

それって矛盾していませんか?

今見ている世の中の現状は確かにそうかもしれません。

学校に通えない子どもたちがいれば、戦火に怯えて暮らす人たちもいるし、女性が虐げられている社会も未だにある。

だからこそ、そのような環境下に自分も身を置き、現地でアクションを起こそうという覚悟が生まれることも自然なことだとは思いますが、そこに関わることは夢でも目標でもなくて「手段の一部」に過ぎないのです。

それ自体を夢にするってことは、自分が関わるまでそういう人たちがいなくなっては困るってことになって、大きな矛盾が生じています。

手段の先にある理想の未来

何かアクションを起こす覚悟があるのなら、先に目的を大切にしましょう。

途上国に小学校を建設する目的はなんですか?

きっと多くの人が「教育を受ける機会を守りたい」「勉強したくてもできない子どものために」っていうと思います。

紛争がなくなった未来が、女性が活き活き働ける社会が、子ども達が笑っていられる世の中が実現できたら、あなたが描いている世界にどのくらい近づくことができますか?

そして、学校に通える子どもが増えたら、世界から争いがなくなったら、どんな社会でぼくらは生きていくことになりますか?

それが現状と向き合おうとする先の、本当の夢や目標だとぼくは思うのです。

そういった意味で、小学校建設は夢や目標として設定するものではありません。

現状に沿って、必要があれば行う手段の一つ。

小学校を建設したことによって「どんな社会を実現したいから、そのアクションを起こすのか?」きちんと見えていますか?

小学校建設は、海外に小学校を建てたい人のためにあるのではありません。

自分の人生の選択を自分で行うことが増える社会

実際にカンボジアに小学校を建設して開校を迎えた頃から、ぼくが見据えている社会は「運命に屈することなく自分の人生の選択を自分で行うことができる社会をつくること」です。

カンボジアで働く同い年がふと言っていました。

「迷うって贅沢なことだよね、選択できる道が多いから迷うんだから。いくつになっても贅沢な人生だ。」って。

ぼくらの多くは迷って考えて、それでも最後は自分で決めることができるのがほとんどのケースです。

でも、この同じ時代、ちょっと生まれた場所や地域が違うだけで、そんな常識は簡単にくつがえります。

だから、ぼくは自分が行った学校建設によって生まれた縁の中で「自分一人ではどうしようもできない状況もある」ということを目の当たりにしたからこそ、せめて自分の周りの人たちには、自分の意思通り生きる社会を整えたくて、学校がたった今も動き回っているのが現状です。

自分の人生の選択を自分でできる人が増えらいいなって思います。

そして、その活動は決して派手でかっこいいものではなく、とてつもなく泥臭くて地味なことの連続だということ。

子ども達と何かして笑っているシーンとか、そうやってキラキラして見えるものは本当に一部にすぎません。

だけど、カンボジアで関わる人たちが本当に大切だから、ぼくは続けることができるし、ぼくと関わったことで変えられる現状があるのなら貢献したい。

そして、その先の未来で、本当の夢の話をしながら笑ってご飯が食べたいんです。

 

ものづくりとかで生まれるプロダクトもその一つ。

 

実際にMIRAIブランドのアクセサリーを販売していますが、その目的はまずみらいスクールの卒業式で、卒業生たちが中学校へ通うための自転車を自分の力で、自分の好きな色を選択して買うというささやかながらも微笑ましい未来の実現のためなんです。

ぼくらのBORDERLESSの商品もMIRAIブランド同様に、その収益は子どもたちの将来のための未来貯金としてセーブされています。

アクセサリー屋さんになることが、ぼくの夢でも目標でもないのです。

あくまでブランド立ち上げも、学校建設同様に手段の一つ。

カンボジアにオープンさせた小さな小さな屋台コーヒー(@felicecoffee_siemreap)もまた、形は違えど将来の選択肢確保のための手段の一つです。

農村部から出てシェムリアップで働きたい、という子どもたちの働き場の起点となる場所を今のうちから持っておきたくて。

ぼくらはあらゆる手段を持って、実現したい未来のためにアクションを積み上げているのです。

まとめ

「自分がやりたい」が先行していませんか?

学校を建てたいとか、途上国でこんなことしてみたいとかに限らず、自分の心から湧いて出てくる思いを言葉にしたり行動にしたりすることも大切です。

今もぼくもいろんなプロジェクトを企画しています。

ですが、それは自分がやりたいからだけではなくて、それをやったことでどんな理想の未来を作ることができるか?があってこそだということは考えなくてはいけないなと。

学校に通えない子ども達も、生活に制限がある人たちも、ぼくらの夢や目標のために生きているわけではないのだから。

ぼくもいろんな人に応援してもらえて学校建設は成功しました。

だから、同じようにアクションを起こそうと思っている人の何らかの力になりたいです。

やり始めると抜けられなくなるほどの現状が待っているから、その本気を応援できる大人の一人でありたくて。

アクションの先の未来を一緒に創ることができる大人の一人でありたくて。

そんな思いから、この記事を書いてみました。

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