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【94日目】学校建設って村の理解があってできることだなって思った日

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2016年3月12日

建設94日目

最近はるかが生活しているホームステイ先のママが、連日プノンペンで遊び呆けているらしく。

代わりに、ご飯はママのお姉さんが作ってくれてるらしいんだけど。

手抜き感がすごいとこの人が朝からうるさいです。お金払って泊まらせてもらってるんだから、ある程度ちゃんとしてほしいものですね。

朝から賑やかな人

そんなホームステイ先で最近面倒を見てくれるママのお姉さんがゆなの髪でなんかやってます。

髪の毛をいじる

 

教室の掃除

今日は地味〜に教室内の片付けから始まりました。

色の入った校舎

外側の水色も埋まってきた。

教室の前に色がつくとまた雰囲気が変わってきて。

校舎の外観

なんとなく全体的に明るく見えていい感じ。

屋根が埋まってくると、教室の中が意外と暗かったのがびっくり。

見学者達

学校の景色が大きく変わってきたからなのか何なのか、ここ数日でフラッと様子を見に来る村人も増えた感じ。

遊びに来て「ゆすけ、学校の色キレイだね!」って親指立てながら話す子ども達が本当に嬉しそう。

たま〜に感じることなんだけど。

村長始め、村人の理解があってこそできる部分って本当に大きいなって思う。

この村に出入りし始めた3年前。

全然笑ってくれなかった人たちと、今はとってもへたくそなクメール語で会話している。

多分、カンボジアに限らず、国外で働く時にどれだけシステムが整備された大企業でも、おそらくぶつかるの現地の文化や国民性。

でも。

「ぼくがお金を出しているんだから従いなさい」ってのは通じない話で。

もっと行き過ぎると支援「してあげてるのに」とかって勝手なこと言いだしたりするんじゃないかってくらい、文化の壁は大きい。

でもぼくは「支援してあげている」なんて微塵も感じてなくて。

この学校建設はたくさんの試練を与えられて、自分の未熟さを磨くために始まった運命なんだと感じるようになった。

ぼくが残しているのは学校の形だけで。

本当に与えられているのは、ぼくの方だったりする。

これに関してはまた詳しく書くけど。

でも楽しくないと続けることなんてできなくて、そこに愛情を注げなかったら本物は創れない。

今本当に毎日がとんでもなくしんどいくせに、毎日とんでもなく楽しい思いをさせてもらっている。

なんかよくわかんなくなちゃうからこの辺で。

とりあえず何が言いたいかっていうと、期限までに終わるのか?っていう不安だけ。

もう今は本当それに尽きる。

学校の様子

屋根が進みすぎて景色がやばい。

トリハダ。

カンボジアの学校建設地94日目の様子

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