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周りの目を気にして自分を曲げて生きたら周りは自分を守ってくれるの?そんなのぼくは信じない

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先日、とある高校の授業の時間に、Skypeを活用したLIVE授業を行わせてもらいました。

カンボジアにいても、WiFiさえあれば日本の学生たちと繋がることができる素晴らしい時代を生きています。ありがたいことです。

第三回通信授業も無事終了です。
Wi-Fiさえあればこうして日本の学生に向けてメッセージを届けることができる。いい時代を生きています。でもやっぱり人と人。顔合わせて話ができる日を心待ちにしてます。毎回一生懸命聞いてくれてありがとう〜

— YUSUKE KITAGAWA (@yusukeworld_) 2017年11月13日

第3回目のこの日、共同企画者でもあるその高校の先生から最後に振られた話題は「日本の高校生へのメッセージを気を使わずはっきりと!」ってことだったので、言わせてもらいました。

「大切にしたいことほど大人の意見は聞くな!」ってことを。

これだけ言うといろいろ突っ込まれそうなので、その辺の言葉の意を込めてまとめてみました。

確率論で生きるな。自分の意志に従って生きろ

「そんな確率の低い夢を追いかけるのはやめなさい」

「そんなことして食っていけるはずないだろ。もっと安定した職業に就きなさい。」

あれ?どこかで聞いたようなセリフ。ぼくが周囲の大人に言われ続けてきた言葉。

きっとぼくだけでなく、多くの若者がこのような言葉によって自分の気持ちや興味関心を押し殺し、周囲の大人が言うような道を選んで、そこにしがみつくための理由を必死に探しているのではないでしょうか?

残念ながらそこには、自分を納得させる理由も、明るい未来も待っていないです。

確率論でものを言う大人に従ったはずなのに、自分の心は少しも弾まないし毎日に楽しみも将来の希望も見出せない。

そう言うと「つらいことから逃げるな」「働くってそんなもんだ」みたいな答えが返ってきたりすることも。アホか。

働くことってもっとエキサイティングなことだし、人生の大部分を働くってことに費やすのだから、働くことに楽しみが見出せなかったら人生のほとんどを真っ暗なものにしてしまうのに。

そもそも「安定」って。

ぼくは安く定まりたくないし。

言いっぱなしの大人の言葉に期待をするな。覚悟を決めた自分の未来に期待しろ

「そんな確率の低い夢・・・」って言う大人の意見に従っても、その後の人生、その大人は責任を持ってくれません。

誰も未来のことはわからないのに、なぜか年上の人たちは何もかも知っているかのように言ってきます。

それも、挑戦することから逃げてきた人ほど、現実的な話に聞こえるように。

もちろん、大人を信じるなってことではなくて、どこまでいっても追いつけなさそうなほど素晴らしい人たちもいるからこそ、社会は回っています。

だからこそ、何を信じるか?が非常に大事になってきます。

いろんなアドバイスや助言の中から、何を選び何を信じるのか?と言うことに関しても、結局のところ自分で選んで決めなくてはいけません。

だからこそ、自分を信じることができなければ、どれだけのアドバイスも「私には無理」「どうせ俺には」って言葉で埋もれてしまいます。

もったいない・・・。

関連記事:自信はどこからやってくる?自分に嘘を付いた分だけまた自分を信じられなくなる

そして、自分に期待できない人ほど、何か課題と直面した時に他人や環境のせいにします。

そんな情けない人にぼくはなりたくない。

人生は思っている以上に長くない。だからこそ余計なことをしている暇はない

こういう考えが定まったのは、インドを訪れた際にお手伝いをしたマザーテレサの家での体験が決め手になっているような気がします。

インドの話をし始めると、今回の記事からずれるので省略しますが、ぼくがインドで感じたのは「人はいつ死ぬかわからない」という当たり前のこと。

そんな当たり前のことを、まじまじと見せつけられた気がしました。

だからこそ、やりたいことやろうって決めたし、やりたいことをやるために準備をしていたら始める頃にこの命はないかもしれない。

そして、本当にやりたいことをやるためには、余分なことをしている暇はないのだと実感し、自分が描く未来にための不要だと思うことはなるべく手放すように心がけました。

人間関係一つとってもそうです。

この人と話すことすら時間の無駄だと思う人とは距離を取り、逆にやっていることや価値観は違えど、自分が面白いと感じる人、尊敬できる人との時間を大切にしようと決めたのです。

まとめ

こういう生き方論みたいな記事、読み方によってはえらそうに聞こえるかもしれませんし、「今更何を」っていうこともあるかもしれません。

ですが、こういう記事を書く時、誰をイメージしているか?と言うと、実は過去の自分です。

自分が歩んできた道の途中で感じた違和感や、モヤモヤ、世の中への疑問や不安に直面してきた頃の自分へ向けて。

だからこそ、今、同じような物事に直面しているであろう人は必ずいて、ぼくの文章がそんな誰かの心を救うことができたらいいなと思って書いています。

人間、特別な人はいないし、周囲の目が気になったりすることもあるかもしれません。

1人で生きてはいけないのが人間とはいえ、自分の人生に責任を果たしてくれる人なんてほとんどいません。

だったら、自分が思った生き方をしていた方が自分で自分を幸せにできるし、そんな生き方が他の誰かの勇気に変わるのかもしれませんね。

ぼく自身もそう願っています。

自分の心の声を押し殺して、周囲が気になってしまう誰かへ届いていましたら幸いです。

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