幼少期、ぼくは戦隊モノが好きすぎて、周囲の友人たちの中でも特にどっぷりハマっていた。
テレビの中でヒーローたちが使うポーズとかセリフとか、同い年の友人がドン引きするくらい日常生活に落とし込んだ。
そんなぼくに、同級生たちがつけたあだ名が「カッコつけマン」でした。(くそだせー)
あの頃のぼくは、強い大人になれば変身もできるし、高いビルの上までジャンプできると思っていた。
本気で。
ヒーローたちに憧れて、かっこいいポーズとかセリフとか言うと、周囲からバカにされて「あいつはすぐカッコつける」とからかわれた。
ある日、「カッコ悪いよりカッコいい方がいいに決まってる!」って言い返したら、「カッコつけることがカッコ悪い」と、同じ小学生とは思えない強烈かつそれっぽい返答をもらってぐうの音も出なかったことは多分今後も忘れられない一言。
だけど大人になってもやっぱり思う。
カッコ悪いよりカッコいい方がよくないですか?
カッコつけたっていい
自分がカッコいいな〜って思う服を着たり、車に乗ったり、髪型にしたり、すればいいと思う。
かっこいいの基準は人それぞれだから、自分がいいなって思うことはどんどんやればいい。
ぼくは、リュックひとつで海外を飛び回って仕事をするって生き方が強烈にカッコいいと感じてから、自分の荷物を極限まで減らして、生活の拠点を海外に移してきた。
誤解を招きそうだからあえて言うけど、別に海外に住むことがすごいことでもかっこいいことでもないのは承知の上。
どんなことをしたらカッコいいと思われるか?ではなくて、どんなことに自分の心は「いいな」って感じるのか。
それを周囲に押し付けたり求めたりするのではなくて、自分がひたすら追求したらいいだけなのだということ。
だから、「海外に住んでいる俺、カッコいいだろ?」なんて微塵も思わないけど、自分がかっこいいと思える生き方をするために、拠点を海外に移したのは本当のこと。
自分の世界観の中で、自分がカッコいいと思えることやったってよくない?いいよね?
カッコ悪いのはどんな?
逆に、どういったことがカッコ悪いか?を考えていくと答えは簡単で、「言動が一致しないこと」が超だせー。
敵が来たら逃げる戦隊ヒーロー。
クソダサくないですか?
だから「海外で暮らしたい」って言いながらそのための行動しないこと、「荷物を減らしたい」って言いながら爆買いしていること。
口では言うのに、行動が全くもって伴わない、しかもそれっぽい理由をつけてやらないでいることが一番ダサい。
自分で言ったことから逃げている自分が一番カッコ悪い。
それから。
逃げるのは勝手だけど、逃げた自分から目をそらし、他の誰かにも逃げさせて、諦めさせて生きる。
これも同じくらいダサい。
自分の好きなことを追いかけるのをやめて、他人の好きを邪魔すること。
今それらの行為は特にSNS上で明るみになっている。
かっこいいの定義は自分次第でいい
何を持ってカッコいいと思うか、どんなことをカッコいいと感じるのか。
それは完全に人それぞれ。
ぼくにとってかっこいい何かも、他の誰かには魅力を微塵も感じないかもしれないし、その逆も然り。
だから、人と比べることでも、人の反応を伺うことでもなくて、自分が思うかっこいいことの中で生きることが実は一番自分を幸せにできるのではないかと考えるようになった。
かっこいいと思えることに熱中する。
好きなことを好きと言う。
そんなにもシンプルなことをやめ、他の誰かにも同じように求める。
それが今、生きていて感じる「生きづらさ」のひとつではないのだろうか?
いいなって思ったことを、迷って、勝手にやめて、勝手に諦めて、それを自分の中で肯定する。
それでいいのか?
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