こんにちは、三日坊主北川勇介です。
いきなりタイトルと名乗りが伴ってなくて恐縮です。飽き性だけどブログは続いていると言うことで強引に話を続けます。
この記事を読んでくれているあなたは、物事を継続することが得意ですか?
自分で決めたことなのに、割と序盤で投げ出しがちな人に読んでもらえたらと思います。
続けて来れた理由は好きなことに集中したから
ぼくがブログを続けて来れた理由は「文章を書く」という自分が好きなことだったからです。
世の中には、楽しいそうなことおもしろそうなことがあふれています。
でも、自分が好きで続けられるかは、やってみないとわかりません。
「スポーツが好き」だとしても、野球が好きな人がサッカーを続けられるかというと、そんなことないですよね。
ぼくも現に野球は選手として14年間続けて来ましたが、サッカーもバスケも水泳も楽しめるけど、続けられませんでした。
フリーランスとしてもいろんな仕事に手を出しましたが、結局今手札に残っている主なものはブログだけ。
多方面に興味を持ったとしても、続けられるかどうかは別問題。
となると、やってみて違うと思ったら三日坊主だっていいじゃん!ってのがぼくの主張です。
頑張って続ける美徳
そういうと、「みんな好きでもないこと我慢してやってるんだよ」「続かないのは根性がないからだ」って言い出す人がいます。
別にあなたが好きでもないことを我慢して続けるのは勝手だけど、だからってそれを人に強要するな。
ちなみにぼくにも、好きでもないこと、やりたくもなことを我慢していた時期はあります。
それなりの耐え方も、我慢も知ってます。
でも、「耐えているから根性ある」「我慢できるからすごい」は必ずしもイコールではないのです。
簡単な理由としては
- 自分が疲弊したらパフォーマンスが下がる
- 耐えた先に希望がみえない我慢は無意味
ということ。
自分が疲弊したらパフォーマンスが下がる
当たり前ですが、疲弊していればパフォーマンスは下がります。
身体が疲れていても、心が疲れていても、自分のベストにはつながりにくくなります。
我慢の先に希望が見えない我慢は無意味
ある程度のスパンを見通して「今は我慢の時」なら踏ん張れますが、いつまで頑張ればいいのかわからない状態で続けていても苦しいですよね。
ただ、ここでいう希望は人が思う希望と自分が感じる希望で違うので、目に見える成果があろうとなかろうと、自分が納得している我慢なら問題なしです。
コツコツ続けるコツ
では、自分が好きなことに集中したら、コツコツ続けられるか?というと、残念ながらこれも必ずしもイコールではありません。
どうしたらコツコツ続けやすいのか?を考える前に、考えてみてほしいことは、何が一番コツコツを邪魔するかということ。
それも、「自分が好きなこと」に集中しているのに、コツコツが続かないのはなぜなんだ。頼む誰か教えてくれ。
コツコツが苦手なまま31年間生きてきたけど、最近感じているのは、コツコツを妨害している一番の原因は「無理した自分ルール」だということ。
そして完璧主義。
例えばトレーニングを開始しようとしたら「明日から毎日1km走る」みたいな、無理難題を言っちゃうからするから自分で自分の首を絞めるのです。
明日から毎日ジムいく
明日から毎朝5時に起きる
明日から絶対タバコやめる
明日から毎日1時間英語の勉強をする
明日から…
明日…から…ね
今までにない新しい習慣を取り入れるわけだから、「毎日」とか「絶対」とか言わない方がいいです。
あとは量とか時間も。
受験とかの例えが一番わかりやすいと思います。
受験の場合、最大の目標は「合格」なので受験日まで毎日10時間勉強することが目標ではありません。
それは、合格を勝ち取るための手段です。
だから、毎日10時間勉強しようがしまいが、最終的に合格できればいいわけなので。
毎日ジョギングしなくても目標の期日までに体脂肪が落ちればいいし、毎日1時間英語の勉強をしなくても話せるようになればいいだけなので。
できるようになる前に、続ける内容の充実さに着目するから、行動することそのものが重たくなってしまうんですよね。
まとめ
この記事をまとめます。
コツコツ続けるコツ
- 好きなことに集中する
- パフォーマンスが落ちる疲れ方はしない
- 希望の見えない我慢はしない
- 自分ルールで自分の首を絞めない
といったところ。
現に「ブログは稼げる」とそそのかされて始めたブログでしたが、続けて来れたのは何より楽しいことで自分が好きなことだったから。
そして稼げるから。
ことブログに関しては、いろんなノウハウやテクニックがあります。
もちろん、それも大事。
でも、「そういった記事を書かないといけない」と自分を縛りこむと、文章を書くという好きなことすら嫌いになりそうなので、好きなことを好きなようにやってみるってのが一番ですね。
どっちにしろ壁にはぶつかるので。
その壁を乗る超える原動力は、苦痛を伴う強制力かワクワクを伴う主体性のどちらがいいか。
答えはいつだってシンプルです。
続けた人にしか見えない景色があります。
どんな富豪も、革命家も、政治家にも、続けていない人には世界です。
続けるか続けないか、その本当わずかな差がなかなか埋まらない差。
ってことを、ブログ毎日続けているうちに言っておきます。
コメントを残す