セミリタイアした草野球選手の日常ブログ「ポテンヒット」

「思い通りいかないことをいかに楽しむか」が人と共に生きることでもある

みらいスクールの子ども達や、村の大人達とはこれまで数年間のいろんな取り組みがあって、少しずつ信頼関係を築いて来ています。

 

村人や子ども達に助けられることが多々ありながら、時には価値観の違いから揉めたり誤解されたりして、溝が生まれることもあります。

 

一面的に見ると、とてもいい関係が築けているように思われますが、やはりここに来るまでいろんなことがあったし、未だにいろんなことが起こります。

 

長く関わっているからこそ目の前にある「信頼」があるものの、長く一緒にいるからこそ上手くいかないことだってたくさんあるんです。

 

時には厳しく言わないといけないことだって出て来ます。

 

距離が近づくとだんだん分別が利かなくなる

今日は仲間たちとみらいスクールへ行きましたが、到着早々事件が起きました。

 

真ん中の教室「ほし」には、開校式に来たメンバーが買ってくれたロッカーがあって、そこに文房具やら何やらを保管しています。

 

到着後ぼくはそこで在庫管理していたのですが、そんな時ヒアンという男の子がぼくの耳元で爆竹を弾けさせました。(わざと)
その後、耳鳴りみたいなのが消えず、しばらくはマジでキーンとした感じが消えず、ツバ飲み込んで違和感を感じるような感覚が残っていました。
昔のぼくなら多分一瞬でこいつを捕まえて、鉄拳制裁一撃でした。

 

が、耐えるに耐えてヒアンに「こっちに来い」と呼び寄せます。

 

ヒアンはニコニコしながら逃げて行きます。

 

他の子ども達も爆笑しています。

 

走るのもバカらしいので、ゆっくりついて行きますが拉致があかないので、ドライバーに通訳を頼み話をしました。

 

周囲の空気はドンよりして行きます。

 

子ども達は察するのが早かったですね、こいつマジだと。

 

最後までニヤニヤしていたヒアンの顔も、だいぶ曇って来ました。

 

ついには近くで話を聞かず、逃げ回るヒアンを先生が捕まえてぼくの元へ連れて来ました。

 

大号泣です。

 

クメール語では細かなコミュニケーションが取れないので、ドライバーに英語をクメール語にしてもらってこちらの気持ちを伝えましたが、大号泣すぎてお話になりません。

 

「怒ってないから質問に答えて」と言っても涙と鼻水が止まらないヒアン。

 

先生達が代わる代わる話をして「ユスケに謝りなさい」と話をしました。

 

結局ヒアンが「ソムトー」(ごめんなさい)って言えるまでに2〜30分かかりましたが、最後は抱きしめて終わりにしました。

 

親がいない子どものコミュニケーション

ヒアンのお父さんお母さんは出稼ぎに出ていて、今は一緒に暮らせていません。

 

今はおじいちゃん、おばあちゃん達と住んでいて、彼らはヒアンに対してあまり厳しいことを言わないそうです。

 

本当はまだまだ甘えたいヒアン。

 

ぼくが学校に行くと、彼はすぐに抱きついて来て「おんぶして」「肩車(みたいなこと)して」とねだって来ます。

 

ずっとくっついていて、下ろしても勝手によじ登って来て、一番身体的コミュニケーションが多いような子でした。

 

学校の先生も「ごめんなさい、ユスケ。彼は親がいないから・・・」と言ってきましたが、だからなんなんだってのがぼくの言い分です。

 

今回に関して言うと、爆竹弾けさせたのがぼくだからよかったものの、他の日本人にやったらと思ったら、とんでもなくゾッとします。

 

親がいないから甘えたくなるのはわかります。

 

だけど、「何がいけないことなのか」「それをしたらどうなるのか」ってことは考えさせなくては意味がないし、「ごめんなさい」を言わせたらいいかってことではないということだとぼくは思うのです。

 

そうは言っても、そう思うなら自分で伝えられるようになればいいので、クメール語頑張ろうって思えたことでもあります。

 

共存共生ってこういうこと

学校が建って実際に運営が始まってからも、多くの人に足を運んでもらっています。

 

参加してくれた皆さんに子どもがなついたり、一緒に遊んだり、実際に授業をしている様子が見れたりして、非常にポジティブな言葉をもらいますが、多分子ども達のすごくいい部分ばかりを見ているからこそ感じるものがたくさんあると思います。

 

時間をかけて築いてきた人間関係だからこそ、最初にも書いたようにいろんなことが起こります。

 

それを知らずに「一緒に何かしませんか?」と声をかけてもらうこともありますが、何かをしようとする企画より、人間関係を築こうとする気持ちの方が遥かに大切で、人間関係の濃い薄いで守れること守れないことがあります。

 

「共に生きる」ってかっこよく聞こえるかもしれませんが、地味で目立たなくて、思うようにいかないことばかりです。

 

だからこそ、そこにボランティアとか支援とかって言葉はないし、どうやって目の前のことを一緒に乗り越えていけるかが、彼らを「家族」と位置付けるぼくの生き方の課題でもあるのだと思います。

 

これまで以上にこれからも、きっといろんなことが起こるはずです。

 

ですが、「何があっても守るからね」って約束した想いは全て行動に変えて、彼らのためにこれからも動こうと思います。

 

思い通りいかないことをいかに楽しめるか。

 

一緒にいるってそういうことなのかなって考えた今日の出来事でした。

 

全然関係ないけど、食べたフルーツが思っていた味と違っていたミニーのリアクション載せておきます。

 

ヒアン、すねてないで明日も学校こいよ〜!

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