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30歳になるのでこれまでの30年間の人生振り返りランキング(前編)

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今年の11月に30歳を迎える。30歳か〜。きっと多くの人が感じると思うんだけど、子どもの頃の想像と現実のギャップの大きさがハンパじゃない!30歳ってこんななのか?ぼくの思ってた30歳ってどんなだっけ?ってことで振り返ったぼくの30年をご覧あれ!

第10位 野球との出逢い

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振り返ってみるとここが僕にとってのベース。小学校3年生、地元の友人がみんなしてサッカー少年団に入る中、ぼくは父親の勧めで野球を始めた。音楽教室、水泳、書道、進研ゼミ、いろんな習い事も経験したけど、唯一長続きしたのは野球だけ。

選手として14年、指導者として4年、趣味となって草野球4年目。22年目の野球人生だ。野球があったからこそ、今があると本気で言える。

物事に本気になることの大切さと一生懸命になることのかっこよさと、表裏のない人間になることの意味をぼくは野球から学ぶことができたと思っている。

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ちなみに全ての打順とポジションで試合に出たことがある。いわゆる器用貧乏だ。

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小学校時代。

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高校時代。

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大学時代。

第9位 強豪シニアリーグで見事!3塁コーチャーの座を獲得、チームは全国大会へ

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数少ない中学時代の試合出場。

これも野球ネタだ。

 

小学6年の時、ほんのちょびっとだけ

地元で調子に乗っちゃって

天狗になって飛び込んだ浜松南シニア。

 

中学生から硬式野球の世界に飛び込んだ。

 

しかし、全く通用せず

チーム1のチビの鼻は早々に折られた。

 

地元の少年野球時代は下級生の時から

試合に出してもらっていたのに、

シニアでは自分たちの世代になって、

やっと2桁の背番号がもらえた。

 

それでも僕はその背番号を手放すまいと

必死に3塁コーチャーボックスを

守り抜いた。

 

何期も連続で出場してきた全国大会。

僕らの世代は、監督からも

「お前たちがこの連続記録を消す!」

とまで言われたが意地で全国大会まで

駒を進めドヤ顔をした。

 

第8位 大学受験のために一生分と思われるほど勉強したこと

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ここまでの2つのランキングを見て

察している人も多いだろうけど、

人生の大半が野球で構成された

僕の人生。

 

勉強ですか?

嫌いです!

高校に入学した僕は一瞬で勉強する

意欲がなくなってしまい、

進学コースから就職コースへと

ものすごい勢いでシフトチェンジした。

 

それでも高校2年生の時の

担任の先生に言われた一言が

僕の人生を変えてくれた。

 

「お前はとりあえず東京見てこい」

 

そう言われて完全にその気になり、

担任の先生との話し合いの結果、

「半分実技で点が稼げる大学」を

目指して日本体育大学受験を決意。

 

高校野球を引退した高3の夏休みから

死ぬほど勉強した。

 

平日8時間、休日13時間。

努力なんて、自分で口にするものじゃ

ないけど、あえて言うなら

この時間は僕の人生の中で最も「努力」

という言葉がふさわしい時間かも

しれない。

 

最も嫌いで、苦手なことで

自分を高めるために費やした

時間と労力と親が払ってくれた教材費。

 

好きなことで頑張れるのは当たり前。

僕にとって今の所、最も努力したのは

大学受験かもしれない。

 

第7位 大学生時代のアルバイトで日本一

 

僕は大学時代に2つのアルバイトをした。

1〜2年生の時は焼肉屋。

3〜4年生の時はガソリンスタンド。

 

この後半の上級生になってからが

地獄のように厳しかったバイトだった。

 

体育大学ならではの3、4年生になれば

すごいいい気分でいられる時期なのに、

アルバイト先ではいつも

ケチョンケチョンにされていた。

 

でも裏を返せば、それだけ僕は

働くということ、社会に出るということ、

そして、生きていくということに対して

知識もなければ技術もなく、

人間も出来上がっていなかったから

(これは今も)、余計に厳しく感じたの

だと思っている。

 

全ては愛情だった。

今でこそそう思う。

 

ここで働くことの基礎を叩き込まれた僕は

その後の人生で、ここよりきついと

感じたものは一つもない。

 

ちなみに「社員」と「アルバイト」に

分かれて日本全国の系列店で

個人の売り上げを競争したこともあった。

僕はアルバイト部門で日本一をとった。

 

「一回とれたんだから二回目もとらないと

おかしい!」

そんな謎のプレッシャーにも耐えて

2年連続でアルバイト日本一!

 

日本一になりたかったんじゃない。

怒られたくなかっただけなんだ。笑

特に2年目は。

 

この記事を書く1ヶ月前、

鬼のように厳しかった

当時のマネージャーと

一緒にお酒を飲んだ。

 

卒業してから7年。

やっと一緒にお酒が飲めた。

嬉しかった。

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帰ってシャツを脱いだら、

脇汗がやばかった。

 

第6位 教師を目指して、公立高校に4年間勤務

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大学卒業後、地元静岡に戻った。

大学在学中に志した「高校教師」の道へ。

 

ただ、大学を卒業した時に

「教員免許」はもらえるが採用はされない。

 

各県や自治体が実施する教員採用試験に

合格しないと「教諭」として働けない。

 

僕は4年間試験を受けながら「常勤講師」

として勤務をしていた。

 

365日中、355日くらいは

学校かグラウンドにいたかな。

 

それでも僕はこの仕事が好きだった。

今でも好き。

フリーランスやめて雇われるなら

教師の道。

 

ただ、僕は正座させちゃったからね。

それが県に行っちゃったからね。

もう静岡県では無理でしょう。

 

たまに教え子と野球やってる夢を見る。

指導者としての野球人生も

すごくいい時間だった。

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前半まとめ 第10位〜6位

  • 第10位 野球との出会い
  • 第9位  強豪シニアリーグで見事!3塁コーチャーの座を獲得、チームは全国大会へ
  • 第8位  大学受験のために一生分と思われるほど勉強したこと
  • 第7位  大学生時代のアルバイトで日本一
  • 第6位  教師を目指して、公立高校に4年間勤務

 

以上、北川勇介の30年の人生振り返り前編でした。

 

次回、後編をお楽しみに!

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