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大人になるとなぜ邪念は増えていくのか?

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誕生日を迎えて32歳になりました、北川勇介です。

みなさまお祝いやら何やらありがとうございます。

32歳かぁ。

22歳で社会へ飛び出した時、自分の次に年上の人が10個違いで32歳だった。

ものすごく大人に見えた32歳に、ついに自分もなっちまった。

今22歳の子たちには、ものすごく大人に見えているのかな?見えていないだろうな。

なんだよ単細胞ごっこって!

大人になると邪念は増えるのか?

きれいごとを言う気はありませんが、毎日トイレ掃除する度に心がスッキリするのがわかる。

でも。

「トイレ掃除続けたらいいことあるかも」
っていう邪念が抜けないので、まだまだ心は汚れているのだと思う。

んちゃ。

— 北川勇介 (@yusukeworld_) 2018年11月5日

大人になっていくとどうしてこう…邪念が増えるのだろう。

ちなみに

ぼくの中での「邪念の定義」は「見返り」でもあって「これやったら損」とか「この人と繋がっておくと特」とか、そういうの。

毎朝、自宅と店のトイレ掃除をする。

汚いよりキレイな方がいいってのはもちろんなのだけど。

こういうこと続けるといいことあるかも…ぐふふ

っていう邪念がないって言ったら嘘になる。

こうやったら楽に稼げるかな?

この人にへこへこしといたら仕事もらえるかな?

これやるためにはこうした方が有利かな?

なんで、何かをやるのに、いちいちそんなやる意味とかを損得で考えるようになっていくのだろう。

結局自分はシンプルに生きたい

世の中は、生産性とか効率化とか単価とか、そんな言葉であふれています。

確かに大事。

でも、一見して「そんなことして何になる?」って思われるような無駄っぽいことを積み重ねることも大事なのだと感じるのです。

自分が好きな何かをするのに、誰かを説得する必要もないし、それっぽい理由もいらない。

好きなことほど案外理由はない。

遠回りをしているように感じたっていいし、無駄だって思われたっていいじゃないか。

それよりも、好きなことでも「やらない理由」はいくらでも見つけてしまうのが人間だから。

誰にも何も言われる前から「どうせ」とかって言葉を使ってやらないことが一番もったいない。

難しく考えず、やりたいことを一つずつやっていくだけなのです。

せっかく言葉が使えるのだから、好きなことを好きと言う。

たったそれだけのことで、人生はかなり豊かになる。

さいごに

誕生日ってのは、何かをこう見直すのにすごくいいタイミングだったりする。

だからと言って、特別なことを始める必要もない。

無理して何か始めて特別な自分になろうと背伸びしなくてもいい。

それよりも今抱えている、本当はやらなくていい何かを削ぎ落としたり、目をつぶったり耳をかたむけてこなかった「自分の心」を育むことが、何より大事。資格とかそんなものより絶対に。

邪念ってのは、何かを失いたくないとか、傷つきたくないとかって気持ちが働いた時に発動するのだという結論になりました。

大人になると、守りたいものが増えていく。

ぼくは。

大切な人のことを、不当な力から守れないことが嫌だと思った。

でも、守りたいもののために、守りに入る必要はない。

自分でガンガン攻め込んで、必要なものを掴んでいく。

そのためにスキルや知識を身につける?語学力や経済力を高める?

まず資本は身体でしょ?

ってことで32歳、白湯を飲み始めましたとさ。

「1日3回くらい白湯を飲む」を始めた32歳。

— 北川勇介 (@yusukeworld_) 2018年11月5日

32歳の北川勇介もよろしく。

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