今回の帰国の一番の理由でもあった「母校が男女共学20周年」という節目の年を迎え、それに伴い文化祭で野球部の招待試合がありました。
このための帰国とも言える今回でしたが、本日無事に文化祭が行われ、招待試合も無事に終えることができました。
ぼくは野球部のOB会の理事にも入っているので、今回の企画も結構メインで関わっていて、周囲があまりやりたがらないOB会とか同窓会の役員をぼくはこんな生活をしながらも率先して行なっています。
自分たちが在学中に受けた恩恵に対する恩返しでもあって、後輩にあたる学生への恩送りができる場所でもあると思っているので。
無事に一つの企画をやり終えた今、OB会というものについて考えてみました。
OBはいつまで経ってもOBという自覚
正直、今のご時世、卒業してから母校のために無償で活動することに意義を見出せる人ってどのくらいいるでしょうか?
めんどくさい、だるい、関係ない。
そんな理由から、少しずつ自分がお世話になった学校との交流から離れていく人がほとんどだと思います。
実は、ぼくも数年前までそうでした。
OB会の活動に積極的でないどころか、むしろ関わりたくないとさえ思っていました。
「何をきっかけに?」と言われてもあまり覚えていませんが、ある日突然「このままじゃダメだな。」という気持ちになり、以降は母校野球部のOB会の理事として積極的に関わるようにしています。
公立高校なので、指導者は変わるし、選手が卒業すれば保護者たちも入れ替わっていきます。
ですが、ずっと残れるのはOB会だけです。
受け継がれているようで曖昧になっていた伝統やあり方を継承していくのは、現場だけでなくぼくらOBなのだと思うのです。(口うるさいだけのOB会は嫌ですが)
「OBはいつまで経ってもOBだから。」
現在の野球部の監督のこのようなお言葉を受け、ぼくもできる範囲で、後輩たちの活躍を見守ろうと思えたのかもしれません。
大切な場所がなくならないために
大げさかもしれませんが、今ぼくは「大切な場所を失わないため」にOB会に関わるようにしています。
もし誰もこの仕事をやらなかったら、これまであったサポートを選手が受けられなくなったら、ぼくが育てられた大切な場所を失うことになるかもしれない。
もちろん、ぼく一人が関わるか関わらないかで変わるほどのことではないかもしれませんが、いつどんなことが起こっても対処できるように、ぼくはぼくの関わり方で母校を大切にできたらいいなと思っています。
そうは言っても、最近は日本にいる時間も減って来て、顔を出せない時間も増えて来ています。
残念ながら、今年の夏の大会も応援には行けません。
他のメンバーもきっと、関わることが嫌なのではなく、単純に時間がないという同窓生も多いと思います。
有志でやることだからこそ、やれる範囲の全力が試されるのかなって思います。
次の20年へ向けて
ぼくらが現役の頃、まだ「新設校」とか「若いチーム」と言われていましたが、20周年ということで人でいう「成人」を迎えました。
この節目の年に、現役選手たちは初のシード権獲得という快挙を成し遂げ、この夏の熱い戦いに挑みます。
これからの20年。
またどんどんと母校の歴史は塗り替えられていくことと思います。
そしてOB会員が増える一方で、ぼくの関わり方も考えて行かなくてはいけません。
「やれる範囲の全力」とは言ったものの、自分がいなくては回らない環境を作ることは本質的ではないと思うからです。
ぼくが次に目指すのは、卒業したばかりの若いOB達が「今度は自分たちが!」と自発的に後輩を応援していこうとする仕組みを作ることでもあると思っています。
年長者がいつまでも上にいると下が育たないので、やらせるのではなく任せられる雰囲気作りと、押し付けるのではなく引き受けてもらえる人間関係を引き続き作っていこうと思います。
まとめ
今回20周年記念に際して、記念誌の作成も行いましたが、その作成のためにご協力いただきました皆さま、本当にありがとうございました。
そして、この数年間取りやめていた文化祭での招待試合を、今年度取り入れていただいた学校関係者の皆さま、そして遠路はるばるお越しいただいた相手チームの皆様にも感謝いたします。
前日の帰国のため、大した打ち合わせもできずバタついてしまいましたが、多くの方のおかげで無事今年の大イベントを一つ終えることができました。
後輩の選手たちには、勝っても負けても多くの方々から愛されて、応援したくなるチームでありますことを勝手に願っています。
OB会のおっさんどもも負けてられません。
この節目の年の母校の行事に関わらせてもらい、いろんなことを思い出させてもらいました。
感謝です。
そんな感じで。
※こんな時代なので、今日の様子は写真をネット上に簡単に公開することができません。あしからず。
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