13年前の4月3日。
18歳で上京したぼくは、日本体育大学の入学式に出席していた。
おや!?
なぜか五厘ですね!

入学式の数日前。
大学でも野球を続ける決意をして、ボサボサに伸びた髪を坊主にしようと部屋でバリカンを手に取った。
その直後に鳴った母親からの電話に出ようとしたら、バリカンを落っことしてアジャスターが外れた。
アジャスターが外れたことに気づかぬまま、再びバリカンを頭に当てたらガシガシ切れるので鏡を見たら五厘になっていた。
ってことが、この記事で言いたいのではなくて。
この日になると思い出す。
新しい場所で、新しいことへ取り組み始める時の気持ち。
中学も、高校も、地元で何となくの流れのままに生きてきたから、東京にいるってだけでなんだか特別な気がしていた。
周囲は全く知らない人だらけで、どこに何があるのかもわからない街。
田舎で育ったぼくには、東京や横浜って街がとても広く大きなものに感じた。
毎日祭りかってくらいの人混み。
数分おきに狂いもなくやってくる電車。
細い脇道を夜通ってもなんだか明るくて。
駅前に停めた自転車はちょっと目を離すとすぐ撤去される。
あの時、ぼくは東京という都会に何かを期待していて、これから始まる大学生活が終わる4年後には「すごい人」になれている気がした。
だけど、実際はそんなことなくて。
どこで何をしていようが、自分次第なのだということに青すぎた自分が気付くのはまだその先で。
苦手な早起きを頑張って毎日授業へ行き。
夕方からは部活。
部活が終わればアルバイト。
アルバイトがなければ部活の仲間とやっすい焼酎飲んで。
1年生の秋からベンチ入りを果たした野球部では、選手として最後の年だった3年夏にベンチから外れ。
ちょっぴりやさぐれたりもした。
主将兼監督になってからの1年間。
本気で目指した「王座奪還」「大学日本一」は、ちょっとしたルールの隙を突かれて、全国大会出場停止の処分を受けたことでその夢は後輩へ引き継がれた。
大学生活を通じて学んだことは数えきれないけど、強いていうなら野球部での出来事が大きくて。
下級生の頃からもらっていた背番号は、確約されたものでなくいつでも誰かに奪われる可能性があったように。
文句ないほどの取組と戦力と実績で首位を独占していても、必ずしもそれは全員に応援されているわけではなかったように。
ぼくの心の隙を狙っている人はいる。
チームとしての隙を狙っている人はいる。
それをも黙らせるための生き方が、飛び抜けるためには必要だということ。
やるべきことやるなんて当たり前。
誰にでもできることを、誰にでもできないくらい徹底してやる。
目立てば賞賛と同じくらい批判が来る。
その程度で屈する夢は夢じゃない。
本当に夢中になれば、周りの声なんて気にならなくなる。
そして、本物だけが残る。
高校卒業から状況までの短期間でやらせてもらったアルバイト代で買った大学の通学用のカバンはまだまだ現役で、ぼくの近くに残っている。

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