カンボジアに建設した小学校に関して「NPO法人とかじゃないんですか?」という質問をよくいただくので「ちがうよ」って話を書きました。プロジェクトを始めた頃は法人化も考えたし、法人の方がそりゃ社会的信用もあって楽だと思います。ただ、ぶっちゃけ言えば「法人だからなんなの?」って感じることもあります。法人だからできること、個人だからできること、そのどちらをとるかではないかと。
個人で活動し続ける理由についてまとめて考えてみました。
法人にはないフットワークの軽さで活動したい
個人で動き続ける最大のメリットはこれです。みんなで集まって議論をして決めなくても、今すぐに自分の意思で動くことができます。
法人には、信用とか人材とかといったメリットがありますが、ぼくらのような小さな活動にはチームを編成しすぎるとフットワークが落ちて、効率を下げるという可能性が出ると考えているからです。
例えば旅行先で「◯◯のレストランで食事をしたい」と思っていても、大人数で来た旅行の場合は「□□でご飯食べる」みたいなプランが決まっていたり、大人数が「ここでいいんじゃない?」的な空気になると自分が行きたい店に行ける確率は下がります。
法人を引っ張っていくリーダーシップがあるか問題
法人(団体)にするというにはリーダーの素質というものが求められると思います。で、ぼくにはリーダーとしての資質も器のでかさもないから向かないなって思っています。
リーダー=チーム1の実力者でなくてはいいですが、リーダーの器以上にチームは育たないと考えているからです。
大学野球時代のキャプテン経験から考えるリーダーシップ
大学の野球部で120人のチームのキャプテンをした経験がありますが、その経験から感じていることは
- 実力者だけ揃えても勝てない
- 実力がない人ばかりいても勝てない
ということでした。わかりやすくいえば実力で物言わすタイプにもきちんと対等に話ができて、実力ないけど手を抜かないで一生懸命やるタイプの人の目線も忘れずに話をする。
で、そのバランスを取れなかったから結果勝てなかったし、いいチームって言われたけど成果が残せなかったのは自分のリーダーとしての実力不足だったかなと感じます。
学校建設から見るリーダーシップ
学校建設そのものはぼくが村と始めたプロジェクトなので、そこに参加してくれた人はぼくの意思を尊重しようとしてくれました。
でもぼくは人を集めた以上、そこに関わった人の意思も尊重しなくてはいけないと思っていました。それが人を集めた責任だとも感じていました。
- 間違っていなければ好きにしてくれていい
- 適当じゃなかったら思うようにやってくれていい
というスタンスを貫きたかったけど、やっぱり資材を落として壊した時、決して安くないペンキをぼたぼた床に落とした時は「おい、タダじゃねぇんだぞわかってんのか」って怒りが先行したし、多分きちんと言葉にしないまま嫌な態度で相手に伝わってしまっていたと思います。情けない。
助成金とかが目当てではないから
あと、「NGOにしたら助成金とかもらいやすいから」っていう理由でNGO化している人もいましたが、助成金とかはもらえたらラッキーくらいで、もらったとしてもなかったお金として上手に運用しないとすぐ破滅すると思っています。
助成金頼み→助成金途切れたら苦しむ の方程式なのでこれを頼りに何かするのはちょっとちがうんじゃないかな。
個人よりNGOの方が助成金もらいやすいかもしれないけど、そこだけが目当てではない。
NGOにもビジネス視点がないと簡単に倒産する
で、NGOは寄付してもらって運営している団体ではないので普通に会社を経営するようなビジネス力も大事。
- 村の人を出稼ぎに行かせるの止めよう
- 村で仕事を作ろう
- 村で仕事を作ったからみんな働いて
- 物が売れない
- 給料払えない
- 身銭削る
- 自分苦しむ
- やっぱ人雇えないから解雇
みたいなことやっている団体もあるって聞いたんですけど、もはや正気の沙汰とは思えない。救いたくてやっているのにめっちゃ苦しめて迷惑かけているし。何がしたいんだろう。撤退したらみんなハッピーなんじゃないかな。
村の現状を訴えても物は売れない。
法人化しなくてもできることがある
個人的な感想としては
- クラウドファンディングで300万円以上集めた
- ブログ書いていたら必要な支援物資を届けてくれる人が増えた
という経験上、個人でも十分に必要な情報を届けて、ご厚情を受け取ることも可能なことだなって思いました。
- 校舎
- 物品(机椅子とか)
- その他必要物資
などはブログやSNS経由がほとんどなので、これからも発信力高めて、この指とまれ方式でやっていきたいなって思います。
まとめ
ということでぼくが「カンボジアに建設した小学校での活動」に際して法人化しない理由でした。
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