志していた教師の道から外れた26歳。あれは2013年のことでした。
関連記事:仕事も収入も失うのが怖い?3年前の今日、ぼくは仕事も収入もどちらもなくなった。
無計画に退職したぼくにとっての心の支えは、その1年前にフリーランスになっていた大学時代の友人・将太(@shotayamagiwa)の存在でした。当時から「旅人という職業を作る!」と言っていた将太。
何を言っているのかわからなかったぼくが、将太の地元・新潟県まで会いにいくと、彼は高城剛さんの書籍を読み漁っていました。
その時将太に勧められて、彼の実家に滞在中に読み込んでいくうちに、ぼくの頭はますますパニックになったのです。
「私物の99%を捨てて世界中を旅をしながらパソコン一つで仕事を創り出す」
「はぁぁあああぁぁああ????」
当時、どうやったらそんなことが可能なのかわからなかったぼく。
ですが、次第にそんな生き方・働き方に興味を持ちはじめました。
大学を卒業して教員の道を志し、ビジネスに対する思考や目線なんて考えたこともなかったぼくには、理解するのにかなりの時間を要しました。
それでも今、ぼくは海外で生きています。
好きなことやっています。
当時はとても理解できなかった「どうしたらそんな働き方ができるのか?」が少しずつわかって来たから。
いきなりやりたいことだけやろうとしても思うようにいかず、もどかしさを覚えたのは単純に土台がなかったから。
一方の将太も、現在は嫁ちゃんもらって2人で世界を旅しながら仕事をしています。
自分の足を使って動いて自分の頭で考える
今年は5月頃からずっとカンボジアにいます。(途中6月に1週間弱帰りましたが)
もちろん、こっちでやることがあってのことですが、ここまでの長期間になるなんて思ってもいなくて。
当初は9月末には一度帰る予定でいました。
ところがどっこい、12月現在カンボジアに滞在しながらまだ帰国のめどは立っておりません。
今回の滞在はある種、ぼくにとって試練の機会でもあって。
それは、日本に帰らない=日本での仕事を回さないということでした。
確実に減るであろうと思っていた収益は、最初こそ不安があったものの、何とかキープできています。
毎日走り回り頭をフル回転させ、仕事をいくつも作って来ました。
収入面に関して言えば、顕著に増えたわけではないので何とも言い難いのですが、日本の仕事を減らしてまで生きている事実によってぼくは一つの自信を得ました。
5月頃から随分長いことカンボジアに居座ってしまっていて日本での仕事の依頼をいくつか断ってしまっているので申し訳ないのですが、今回ぼくは1つの自信を得ました。
それが「どこにいても生きていく土台を築くことができた」ということ。— YUSUKE KITAGAWA (@yusukeworld_) 2017年11月29日
どこにいても生きていけるからやりたいことがやれる自信
よく言われることでもあるのですが、ぼくは「カンボジアに小学校を建てるために来た」訳ではありません。
たまたま訪れたカンボジアという国で、たまたまそういう話になっただけ。
あのタイミングで教員を辞めてカンボジアに来なかったら生まれなかった話です。
その後しばらく、ぼくの人生の中に「カンボジアの小学校建設」というものが大きな目標として生まれ、建設が終わり開校を2年目を迎えた今は、建設した小学校を支えるという目標があります。
そのために、今年1年間カンボジアでは様々な事業を展開し、その展開にあたってまた多くの人とつながりました。
それは日本人、カンボジア人だけでなく。
そうやって動いていると、その出会いの中には「どうしても個人では解決できない課題」を抱えた人達がいて、ぼくの働く目標や意味は日々アップデートされていきます。
カンボジアで縁があった村の子達に教育の機会を与えたくて学校を建てたら、その学校を守るために仕事を創る必要が出てきて、カフェを始めた。カフェを始めたらそこで働くスタッフの生活のリアルがあって今このスタッフの働く環境を整えたくて子育て支援というものを考えている。
— YUSUKE KITAGAWA (@yusukeworld_) 2017年9月26日
カンボジアに来はじめた頃には、到底描くこともなかった未来を今生きています。
正直に言えば、カンボジアに小学校を建設するくらいの時は、まだまだ生活は楽ではありませんでした
ただ、これは経済的な話の一部であって、「生きていることが苦しかったか?」と言われれば、それは必ずしもイコールではありません。
その間、やっとの思いで稼いだお金は次の事業に費やし、空いた時間で移動をし、いろんな人と出会ったことで、どんどん道は広がっていきました。
時間もお金も労力も、それなりに費やしていろんな仕事を創ってこれたのです。
そこにはビジョンというよりも、明確な目標と目的があっただけ。
それが、「世界中どこにいても生きていける土台をつくる」って目標と「何のために働くのか?」という目的。
それをしてどうなるのかっていう浅い思慮での損得は考えず、シンプルに物事を選択して来ました。
より一層やりたいことがやれるために土台を太く強く
これからは、固まりつつある土台をもっと強く、もっと太くして、これまで以上にやりたいことに注げる時間・お金・労力を増やすことを当面の目標としてやっていきます。
「仕事をつくる」って聞くと難しく聞こえるかもしれませんが、簡単に言えば行動を起こすだけです。
自分が考えたことを実際に形にしようとしてみるだけのことです。
この根底には思考力が必要になります。
想像できないものは創り出すことができないから。
行動を起こさなければ仕事が生まれるはずがないんです。
もっとわかりやすく言えば「働かずしてお金を稼げるはずがない」ということ。
そのためには動くしかないので、自分の目で見て、自分の頭で考えて。
全てはそこから始まるのだと思っています。
世の中にはクリエイティブな仕事とクリエイティブではない仕事があるのではなくて、仕事をクリエイティブにこなすことができる人とできない人がいるだけのこと。
どんな仕事をしているか?で価値は決まらず仕事に対してどのように向き合っているか?が大切なのだということ。— YUSUKE KITAGAWA (@yusukeworld_) 2017年12月2日
やらない理由はいくらでも生まれる
めんどくさい、だるい、意味ない、お金ない、時間ない。
そうやってやらない理由を並べることは簡単です。
でも、簡単だからやらない理由を何億個並べたところで何も生まれていない。
逆に、何か一つでも「やろう」って決めることは、最初に描いたこと以外にも多くの物事を生み出す可能性を秘めている。
だからぼくは、必要だと思えば多少お金を使おうが、体力を削ろうが、多少の無理は承知で動くようにしています。
そこで使ったものは、後から取り返すことができるから。
目の前にはすぐに変えられることがたくさんある
やりたいことやろうと思ったら、お金をかけずにすぐにできることと、お金を多少なりともかけなくてはできないことがある。
お金をかけずにできることはすぐやればいいし、そうやってすぐ動くことができればお金が生まれて、お金をかけてやりたいことの資金を生み出すこともできます。
多分、図らずともそういうものなんだと思います。
自分で考えもせず、動きもせず、最初から何かに依存していても何も生まれない。
やりたいことだけやろうとしても最初は思うようにいかず、「自分には無理だ」とか「あの人は特別だから」って言ってしまうのも簡単なこと。
だから、「行動を起こす」ってことに関しては、どんなことしてもいいんだろうけど、そこには「何のため」っていうブレない目的がないと簡単なことではないのだとも思います。
人生意味ないことなんてないとは思うけど、本当に無意味なものを作りだしているような感覚になることはある。
ただそこに気づいて繰り返さなければ成長している訳だから、結局意味なかった訳ではないんだろうけど。— YUSUKE KITAGAWA (@yusukeworld_) 2017年10月24日
それが「事業」とか「ビジネス」であれば利益を出すなんてのは当たり前の話であって、「お金を稼ぎたい」なんてのは何も言っていないのと同じだとぼくは考えています。
「稼いだお金でどうしたい?」が見えていることが本当の目的なのだと。
まとめ
自分がどうしたいかなんて自分が一番わかっているはずです。
だからこそ、自分の声のままに動かないと、自分の心はどんどんその気持ちを発しなくなって、いつか聞こえなくなってしまう。
聞こえた声に何を感じるか。
感じたことについてどう考えているか。
考えたことをどうやって行動に移すか。
本当、これだけのことなのだと思うのです。
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