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夢を見ることが全てじゃなくて叶えようとすることが全てってコブクロが歌ってた

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アイキャッチ画像は4Lのウイスキーを飲み切らせようとしてくる人たち。

先日、物価が安いと言われる国で、低価格で売られている商品の裏側の話をしました。

「夢を与える」とか「選択肢を増やす」と言った話をする機会も多くなってきて、いろんな企業や個人が努力を重ねて素晴らしい製品について触れる機会もまた増えて来ました。

ここでもう一度、選択肢を増やしただけでは何の意味もないし、かえって残酷だって話をしておこうと思います。

関連記事:その買い物は正しいか?「物価が安い」と言われる国で生まれる見えない犠牲

選択肢がない人たちの労働の犠牲

ぼくが滞在しているカンボジアでも「働くことの選択肢がない・少ない」という人は確かにいます。

それはいろんな要因が絡んで来ているので、複雑なものでもあり、簡単に一言で全てを語れるようなものではありません。

同時に、そのような社会問題を解決しようと、一生懸命取り組んでいる人たちも多くいるのもまた事実です。

夢を見せることが本当にいいことなのか

選択肢が限られていることに対しては、ぼくも何とかしたいという思いがあります。

アイディアは豊富に浮かんでくるし、そこにかける時間や労力を惜しむ気もありませんが、考えなくてはいけないのは「見せた夢を叶えるための手段や方法まで寄り添えるか」だと思います。

世の中にはこんな働き方がある、こんな仕事(職業)がある。

そうやって言うのは簡単ですが、今までなかった選択肢に興味を持った場合にどうやってその先の未来を考えていくか?

「眠っていた子を起こす」ではありませんが、夢を見させた責任がそこにはあるわけで、もしかしたら知らない方が良かったことだってあるのかもしれないです。

夢だけ見させて叶え方(手段や方法)は教えない。

それが一番残酷なことだと考えると、簡単に人の選択肢を増やすことはできません。

実際、これだけ選択肢が有り余る日本では、その選択肢の多さ故に迷ったり、決め切れなかったりする人も多くいます。

地域と寄り添って自分が一番挑戦していく先に共存共生は成り立つ

「慈善活動」だけなら結構簡単にできます。

「カンボジアに小学校を建てただけじゃ意味がない」という意見が出るのであれば、「カンボジアの子ども達に夢だけ見させても仕方がない」という意見だってあるはずです。

カンボジアに小学校を建てたなら、その小学校が適切に運営されるように補助が必要かもしれない。

カンボジアの小学校に夢の見方を教えたなら、夢を叶えていく方法だって助けが必要になる。

やりっぱなし、言いっ放しが一番酷いことなら、建てた責任、言った責任を果たしていく覚悟が必要になります。

「どうしたら自分の思い通りの未来が描けるのか?」

人に何かを伝えるなら、その行動の先に待つ未来を想像させることができなくては、人は簡単には動きません。

そしてその行動の先をイメージさせるためには、自分がその方法を知っていなくてはイメージさせることもできません。

教育ってそういうものです。

時間をかけて少しずつ少しずつ。

いい話聞いたとしても、心が変わったように思えるのはその時だけでまた次の日からはいつもの日常。

大方の人間がそうだと思います。ぼくだってそうです。

だからこそ、いろんなことに挑戦をしていろんな世界を見ていないと、語れる中身や幅はどんどん狭くなると思っています。

挑戦する姿を見せること、その中で伝える夢の見方・叶え方こそ本当に生きる教材として後世に残せる目に見えない財産です。

まとめ(行動の先には責任が伴う)

こんなことしたらいいんじゃないか?

あんなことしたらいいんじゃないか?

自分の頭の中で想像できること、それが本当にいいと思うなら、すぐにでも取り組みたいことがたくさんあります。

そして、それは行動に移すべきだと思います。

ですが、その行動の先には必ず行動の根拠があり責任が求められます。

いいことをしようと思ってやったことが、かえって大きなお世話になってしまわないように、物事の裏まで考えられるようになりたいなって思っています。

コブクロの歌聞いて良かった。

「夢を見ることが全てじゃない。叶えようとすることが全て。」

DOORって曲です。

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