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カンボジアに建設した小学校が開校してからおよそ半年経ったので様子とか現状とか

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みらいスクールが開校してまもなく半年を迎えます。あのすばらしき開校式が半年前だなんて信じられません。

みらいスクールの今の現状って「何か支援したい」とか「何か役に立ちたい」って思いだけで来られると、正直退屈だと思います。手がかかる子が少ないし、教えなくてもできる子達多いし、やんちゃで甘えん坊だけど分別はあるし、何も与えようとしなくても手を差し出さなくてもこの子達はこの子達でちゃんと育っている。そう感じるからです。

1 ぼくらがカンボジアで生かされている事実

ちょっと話が逸れますが、小学校を建設していた2015年10月〜2016年3月までのおよそ半年間、いろんな揉め事がありました。生々しいお金のことだったり、それこそゴミだらけの建設現場だったり、働くことへの姿勢だったりとか。

とにかく思い通りに進まないことがたくさんあったんですが、途中から気づきました。

ぼくが求めているやり方が、ぼくの中で当たり前であっただけで、この人たちが間違っていることばかりではないということ。そして、ぼくが何をしているか?は全く関係なくて、母国ではないカンボジアでぼくは生活させてもらっているということでした。

特に建設当時で言えば、ぼくも大工さんも村人も、みんなの思いは同じで、そこの場所に「学校を建設する」ということ。

そのやり方や思いやペースの違いに違いがあっても目的は同じはずなのに、なぜかぼくは自分の価値観で働くことを求めたりしていたんです。ぼくら外国人がその村にお邪魔させてもらっているっていう根本の部分に再度気づかされました。

2 強制することをやめて伝えたいことは姿で見せていく

すごく勇気のいる決断でもありましたが、ぼくはありとあらゆることを、まず受け入れるということにしました。建設のペースもゴミを簡単にその辺に捨てることも。

もちろん間違っているって思うことはハッキリ伝えましたが、正しいか正しくないかっていう物差しを自分の基準から外したんです。

ゴミが落ちていることが汚いと思えば自分がやればいい。

大工さんのペースが落ちても、最近は疲れているのかもしれない。

子ども達とは遊ぶ時と仕事する時とハッキリさせよう。

そう思って、目の前のいろんな事実を受け止めると、少しずつ目の前のことが変わって見えました。

ぼくら日本人がゴミを拾っている姿を見せ続けると、簡単にゴミを捨てなくなる。(建設中に仲間が買ってくれたゴミ箱を未だに使っています)

大工さんもやるときはやる、休むときは休むっハッキリする。(これは特に終盤までいろいろありましたが、また別の機会に)

子ども達も「終わったら遊べる」ってわかると、おとなしくしてたり、早く終わらせるために手伝ってくれたり。

3 一番のお土産は顔を見せること

聞いたところによると、訪れてくれる人たちに「お土産」を持って来させる団体もあるそうです。

みらいスクールにこれまで来てくれた人たちの中にも、何かあげたいって言う人がいたりもしましたが、ぼくは断っていました。

本当に必要なものは何か?

「〇〇(お土産くれた人)は来ないの?」って子ども達が言い出すようになったんです。

「△△(また別の人)は来るよ」って言っても期待しているのは「何を持って来てくれるか」だったんです。

そんな折、どうしても文房具を渡したいと言う人がいて、ぼくも断りきれずに渡すと、物に集まってしまい、お礼も言えず、数日経てばもらったノートの切り端がその辺に散らかっているという現状を目の当たりにしました。ご好意で何かくれた人の気持ちもお金も無駄にしてしまうし、何より子ども達にとっても意味がない。

そう思ってハッキリと伝えました。何かをくれる人だけがいい人ではないということ。

もらえることが当たり前ではないということ。

もらってもお礼が言えないとダメだよっていうこと。

そんなようなことを子ども達に伝えました。

学校が始まった今、これまで寄せられた文房具達は全て鍵付きのロッカーに入れて管理をしています。(このロッカーも開校式に来てくれたメンバーがお金を出し合って買ってくれたものです)

先生に話をして、必要だと思った時に必要な分だけ使って欲しいと伝えて、鍵を預けています。子ども達がぼくに「ペンが欲しい」「ノートが欲しい」と言っても、ぼくは彼らにプレゼンをさせてからにしています。

なぜ今それが必要なのか?

それをきちんと伝えて来た子には、必要なものを渡しています。

そうなると、だんだん物を欲しがらなくなって、貸し出しで使った文房具も最近は何も言わなくても全部揃えて返しに来てくれます。

そして、帰り際には、以前よく遊んでくれた人の名前を出して「〇〇は来る?」と言って来ます。

うちの子たちが今心待ちにしているのは、現場に来てくれる人たちです。

お土産なんかなくても、最初は照れ臭くて隠れていても、「明日は来る?」「いつ日本に帰る?」って。

まとめ

正直言って、来て何するわけでもないんです。日本語を教えるわけでも、何かを作るわけでも。

何か形に残らなくても、何も力になれないって感じたとしても、小さな彼らの瞳には、確実に来てくれた人たちが写っていて、記憶の中には多くの人たちが残っています。

ぼくが子ども達と積み重ねて来た信頼関係もあるかもしれませんが、根本はきっとみんな親の躾が良くて、村の大人達がしっかりしているからだと思うんです。

その大人達も、ぼくを見たらニコってしてくれて、「家に遊びに来い」とか、「ご飯食べていけ」とか言ってくれます。

子ども達とはなるべく一緒にいること、そしてその親達にも顔を見せていることが、今の所良好な関係を続けていられる要因の一つだったりするのかなって思います。

信頼ってどこまで行ってもゴールはないのに、崩れる時って本当に一瞬です。

「何かをしたからどう変わる」って言うよりも、一緒にいることで初めて「何かしたい」って想いが形になりやすいのかなって思います。

朝、学校に顔を出すと、手を合わせて挨拶をしてくれます。初対面の人には緊張したり、照れたりしてなかなかできない時もあるけど、これはまたゆっくり、ね。

子ども達は、ぼくが連れて来る人たちのことも大事にしてくれます。

何かを分けてくれたり、手紙を渡してくれることがあったり、絵を描いてくれたり。

だからこそ、「ゆすけが来てから、ゆすけの友達が来てから村が乱れた」なんて絶対言わせたくないから、ぼくはぼくの思うやり方で村を大事にしたいし、伝えたいことは自分の姿で見せていこうって決めています。

もちろん、思うようにいかないこともありますが、我慢・徹底・継続で、向き合って寄り添って、一緒に未来を創っていこうって思える大切な家族の様子でした。

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