最近は、カンボジア(と言ってもぼくが住むシェムリアップではなく、首都プノンペン)にはWebを主な媒体にして活動を使用をしようとしている若い子達が集まっているようです。
シェムリアップでは、まだブログを中心に情報発信している人はほぼいないみたいなもの。
ぼく自身がブログを継続しているように、これからの時代は発信力とか影響力と呼ばれるパワーは、ないよりはあった方がいいと思うのですが、発信するからにはやはり何らかの形で説得力が求められるわけです。
例えば、ブログ〇万PVとか、SNSのフォロワー○千人とかってのも一つの指標ではあります。
同時に「カンボジア生活○年目」ってのも同じで、わかりやすい指標の一つです。
でも、あくまで指標です。
仮に「フォロワーが多い人がすごい」とするなら、フォロワーが多い少ないどころかSNSやっていない人ってどうなんだ?
って話にもなります。
以前、「カンボジアで〇〇な人を紹介してほしい」みたいな相談を受けた時に、それなら!と思って候補者を紹介しても「でもあの人、SNSのフォロワー全然多くないですよ?」
みたいな返答があって「あ、これは人の見方が狂って来ているな〜」って思ってしまいました。
一方で、カンボジア生活は始めたばかりだけど、オンラインでもオフラインでも発信力や影響力を持っている人もいます。
その人がTwitterとかブログで「カンボジアは○○」みたいな発言をすると、知らない人からしたら、それがカンボジアのイメージにもなり真実にもなります。
それを知って、「本当はそうじゃないんだけどな」ってつぶやいたところで、自分の声が誰にも届けることができなければ、影響力がないことにもなるのです。
難しい。実に。
長ければいいのか?来ただけでわかったつもりか?
ここだけで考えると、カンボジア生活が長くて、酸いも甘いも経験した人が、発信力も影響力も持つと最強なのではないか?という説があります。
ただ非常に曖昧なのは、期間の長さの感じ方とかって人によって異なるということです。
カンボジア生活1年目の人にしたら、6年目のぼくは「長いですね」と言われるかもしれないけど、20年以上も住んでいる人からしたらぼくのカンボジアでの歴史なんて、短すぎます。
ということは、何年住んでいるか?って実際はどうでもよくて、その長さを測ること自体が不毛なことだということです。
「何をしたらすごい」とかそんなの誰にも測れない
そうなると「何をしているか?」に焦点が向くかもしれません。
ただこれも、何をやっている人がすごくて、何をやっている人はダセーって人もいません。
「すごい」も「ダセー」も見る人の主観だからです。
実績も同じで「〇〇賞」を受賞したとか、メディアに取り上げられたとかも素晴らしいですが、それだけが実績ではないです。
ちょっと話逸れますが、シェムリアップに来たら知らない人はいないのではないかってほど有名なお土産物として「アンコールクッキー」があるのですが、先日Twitterで「カンボジアに10年近く関わっているけど、自慢はアンコールクッキーを一度も食べたことがないこと」という発言がありました。
ぼくの主観からしたら「残念な人」です。
そして、発言そのものがクッッッソ謎です。
食べないのは自由だけど、そんなの自慢でもないし、知らないなら語るなと。
ただ、そこには別の主観で「私もです」って人がいるかもしれないし、誰が正解で誰が間違っているとかないからこそ、誰かがやっていることを他の誰かのものさしでは測れないってことです。
価値がずれている人とはわかりあわなくていい
ただ、実態を知らない影響力をもった発言によって、確実に起こる感覚の食い違いが起こります。
- カンボジアの食事は一食$1.5〜$2程度
- $1からマッサージが受けられる
- 豪華ブティックホテルが$10ちょい
みたいなものが、これまで以上に情報として出回ることで、「そういう店もある」という感覚から「カンボジアはそういうとこ」という感覚を持った人が増えて来ます。
これによって、現地で雇用を生み出して、賃金の底上げをしたり、働くスキルを提供したりして、貧困(定義では1日$2以下での生活)を強いられて来た人の生活環境を何とかして整えようと、人生をかけて来た人との間でズレは生じることになります。
「タイとかカンボジアなら月数万円あれば住める」ってのがその最たるものです。
そんな生活してまで、いる理由もなく勝手に安い国にしてくれるな、と。
$100超えのスパはぼったくりなのか?
それこそものの捉え方ですが、日本だったら3〜4万はするだろうスパのコースが$100程度で受けられるなら、超贅沢な国です。
その辺で見かける$1マッサージを好む人からしたら、ぶっちぎりに高く感じるでしょうが、それは目先の金額差しかみていなくて、本当の価値をみない貧しい人です。
$15のホッケは高いのか?
先日日本人経営の居酒屋で「ホッケ」を食べていたら、旅行者の方に話しかけられて「ホッケ$15もするんですか?めっちゃ高いですね」って言われましたが、高いと思うなら食べなきゃいいと思うんです。
もしかしたら日本で食べるよりも高いのかもしれませんが、それにも理由があります。
その理由も工程も考えず、「日本で食べるよりも高い」なら、日本にいろ。
まとめ
とはいえ、この記事すらも言ったら主観の一つです。
ただ、ぼくは悔しい。
カンボジアでの生活が、見た目の価格ばかり安いものに目を向けて、「コスパコスパ言い出す人」「自分の予算を超えただけでぼったくりとか言い出す人」が想像以上に多いことが。
「日本より安い」は当たり前。
「日本より高い」は気に入らない。
住んでみたらわかるけど、全てが安いわけないですよ。
日本では味わえないサービスを、同じクオリティで低価格で味わえることにも
日本でしか味わえないものを、ここまで運んでくれて味わえることへも
感謝がなくて、自分本位でしかなくて、やっている人へのリスペクトがない。
そんな人ばかりが増えていくなら、いっそ観光客だって増えなくていい。
まぁ、これは本当に身勝手な発言だけど、それくらいに思ってしまうこともあるんです。
これは住んでみて、現地と寄り添ってみなきゃわからない。
でも、長く住むことだけが全てでも真実でもなく、何をやっても一部だからこそ、愛すべきこの国の情報が曖昧なままアップデートさせられていくのが我慢できなくてこうして記事にしました。
だからぼくはやっぱりパワーがほしい。
この国で見ていることを、きちんと伝えていくための発信力と影響力が。
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