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世界のどこかで誰かが理不尽な犠牲に遭ったと聞いても明日きっとぼくは忘れて笑って酒を飲む

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バングラデシュでまた一つ悲しい事件が起きてしまいました。

被害に遭われた方や、ご遺族に謹んでお悔やみ申し上げます。

 

まがいなりにも海外で活動する者として、他人事ではないニュースがまた飛び込んできた。

目を逸らしたくなるような出来事や、冗談であってほしいと願う現状を目の当たりにした時、僕はいてもたってもいられなくなる。

そこら中で出会った仲間たちのことを思い出して、

「あいつは今どこにいるのかな?」

「今回巻き込まれてないよな?」

そんなことを思う瞬間が増えた。

 

同時に海外で活動することが増えたことによって、家族を想う時間も僕には増えた。

今までよっぽどのことがないと連絡なんてしなかったのに。

「無事に着いたよ」

「今夜の便で帰ります」

たった一行のLINEはすぐに既読になり、

「体に気をつけて」

「帰りを待っています」

これまた一行の簡単な返信が届く。

 

そんな些細なメッセージの中に、計りようもない安らぎと安心が詰まっている。

帰る場所があることを再確認して、僕はまた旅に出ることができる。

 

安心といえば、

僕が何で海外で活動を始めたのか。

高校教師の道を絶って踏み出した数年前のことが今でも蘇ってくる。

 

特別な技術や知識があるわけでもない。

影響力のある人間じゃない。

何にも持っていなかった僕が、新しい場所でスタートした理由。

それは、世界の一部で見たリアルを置き去りにはできなかったから。

 

置き去りに出来なかった理由は多分、安心・安全で守られているように思える環境にいるからこそ、何か自分と違った異世界を見た時に飛び込みたくなってしまう、ただの僕のエゴなんだと思う。

そもそも、何かをしてやろうという気持ちなんかないし、それ以前に僕がいかに何にもできない人間かということは自分が一番人生で痛感している。

 

それでも、

知っているつもりになっていたこと。

わかっているつもりだったこと。

自分とは関係のない場所のできごとだと思っていたことが、いざ目の前に現れると自分には何かできないのかを追求してしまう悪い癖がある。

 

何にも持っていない僕の心を突き動かしたのは、カンボジアの地図にも載っていないような小さな村との出逢いだった。

 

そうは言っても僕は甘いから、旅先で見てきたリアルも日本に帰ってきたらいつの間にか思い出の一部になっていて、いつの間にか前と変わらない平穏そうな暮らしが続いている。

 

世界のどこかで紛争が起こり尊い命が失われても、明日には忘れて僕は仲間と笑っている。

世界のどこかで食料が不足していても、僕はおなかいっぱい食べて酒を飲む。

世界のどこかで少女がレイプされていても、僕は今夜も愛する彼女の隣で布団にくるまって眠る。

 

こういった課題は別に海外だけにあるものじゃなくて、日本でもそれに近いことが起こっている。

 

毎日のように誰かが誰かを殺めた報道。

国内でも広がる貧富の差。

一時のお金のために体を売る少女たち。

 

同じ地球上で、同じタイミングで、同じ時代を生きる僕たち。

以前は、生まれる場所がちょっと違うだけで、運命が大きく違うと思っていた。

でも今は、生まれる場所なんて関係なくて、誰にでも運命を大きく揺るがす出来事が起こり得るって感じている。

 

そうならないために僕たちは何ができるのか。

そうなってしまった時僕は何をしたらいいのか。

 

結局考えたところで答えなんてでないし、解決方法なんてわからない。

僕だってテロリストは怖いし、爆弾とか銃とか言う前に自分の親父の舌打ちすら未だに怖い。

 

でも世界で起こっているリアルを置き去りにしたくないという気持ちは、変わっていない。

関わっていけばいくほど、大切にしてもらえた経験がまた少し僕に優しい気持ちをくれて、守りたいと思える人たちが増えていく。

 

それでもやっぱり僕は無力だから、自分ができる目の前のことを精一杯実践して、自分が見てきたことを色をつけずに発信する。

これしかできないと思っている。

 

テクノロジーの進化が止まらない時代だからこそ、人と人の繋がりが大切になってくるのかななんて。

人が人を信じられない上に、人が生み出した機械を人がコントロールできないなら、僕たちは何のために生まれてきて、何のために生きているのだろう。

 

幸せになるために生まれてきた僕たちが、不透明なシステムの中で死んでいくことを誰が望んだんだろう。

ますます不透明で、責任所在が不明確になっていく世の中を、このまま次世代に引き継いでいいのかな。

 

僕がやっていることが世界を変えられるはずもないし、カンボジアに建設した小学校も僕がカンボジアに何かを与えたのではなく、与えてもらってばかりだった。

それでも、目の前にある事実と向き合うことができれば、人が人を思う瞬間がもっと増えたら。

ちょびっとだけでも何か動き出すんじゃないかなって思って。

 

 

3年間フリーで生きて、いろんなプロジェクトを催してきた中で、僕は人を思う時間が増えました。

間違いなく3年前の僕より、今の僕は豊かです。

 

だから僕はこれからも動き続けて、バーチャルにはないリアリティを味わい続けて、発信し続けていこうと思います。

心配してくれている人もいます。

不安にさせてしまっている人もいます。

 

それでも僕の帰りを待っていてくれる人がいるから、僕は僕のやり方で目の前の人達から幸せにできるように、守り続けられるように生きていこうと思います。

自分に守るべき家族がいるから、帰りを待ってくれている人たちがいるから、僕にの体に宿ったみんなの命を、僕は大切に燃やしていこうと思う。

 

そろそろまた日本を離れます。

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