カンボジア在住リモートワーカーの日常VLOG

みんなで同じことをやるにしても全員が同じ熱量とは限らないということを知っておくと落ち込まない

読者の皆様の中に「せっかくチームで一つの目標に向かって頑張ろうとしているのに、熱量が足りないヤツなんなんだ」と思っている方はいらっしゃいませんか?ぼくはその気持ちがとてもよくわかりますし、やる気ないなら出ていけよとすら思う人間でした。

実際にそれでイライラしたことが何度もありましたし、熱量が低い人間を許すことができなかったのですが、ある日気づきました。一つの目標に対してみんなで同じ熱量で取り組もうだなんて自分のエゴだと。この記事では、そう考えるようになった経験談をお話します。

みんなで一つのことを目指した学生時代

ぼくは小学校から大学まで野球をやっていました。所属したそれぞれでチームが目指す目標は地区や県レベルから全国まで様々でしたが、少なくとも「みんなで一つのことに向かって頑張る」という経験はぼくにとって財産でした。

こういうことを言うと青臭い記憶を引きずる暑苦しいやつだと思われるかもしれませんが、例え好きなメンバーと好きなことをしていてもいいことばかりではありません。時に仲間割れもするし、不満も溜まります。それでもその時々の課題をみんなで乗り越えながら、綺麗事で濁さずに、目標に向かって努力すると言う経験を学生時代に何度も繰り返したことで、いい大人になった今でも大切な価値観が芽生えました。

それが、社会には自分一人では変えられないものがたくさんあるけれど、決して一人で生きていることはなく、だからこそ社会は変えられる、ということです。

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大人になってから所属したチームの熱量

大人になってから所属するいろんなチームに、最初はたくさんの違和感を覚えました。それも能力の差というより意識の差に違和感を感じることが多かったです。

仕事でも仕事じゃなくてもこういうことは起こると思っていて、特に強制力がそれほど強くないけど「これはみんなでやろうね」ってことに対してはっきりと意識が分かれます。

例えば「毎月10日は定例会議をしましょう」とチーム内で決まったとするなら、毎月10日は予定を空けるように努力するはずです。それがぼくの価値観でした。しかし蓋を開けたら「仕事が急に入ってしまって」とか「遅れてなら大丈夫です」とかが平気で起こったんですね。今でこそ「まあそんなもんだよね」と言う気持ちを維持できますが、当時のぼくは理解ができませんでした。

なんでみんなで決めたことが守れないの?仕事が入ったんじゃなくて自分が入れたんでしょ?遅れるその直前の用事はそんなに大事か?と言う感じ。「今月の10日は子どもの誕生日なんですいません」とかならわかりますよ。ああ確かにそれはそっちを優先してと言う気持ちにもなります

こういう意識の差が積み重なっていくと、ぼくの気持ちはどんどんどうでも良くなっていって、そう言う意識でやるならやればいいけど、だったら俺はやらんと言う気持ちになっていってしまったのです。

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相手の熱量に惑わされず自分は自分でやればいい

このような熱量の差を何度も感じたことでの気づきがあります。それが、周囲の熱量を気にしている時点で自分の人生を生きていないと言うことです。

たとえ同じチームだろうが、自分は自分で、他人は他人。自分の基準に相手の熱量を合わせることを強要する必要もないし、相手の熱量が感じられないからと言ってそんなことに影響されて自分の熱量を下げる必要もないのです。

要するに、チームは目標に正しく向かっているか?は重要だけど、そこへ向かう熱量は同じじゃなくてもいいのです。向かってさえいれば。ある人は目的地に早く行きたいから車で向かうかもしれないけど、ある人はゆっくり自転車かもしれないし、公共交通機関かもしれない。「みんなでバスで行きましょう」とは言っていないので、目的地に向かってさえいればいいのです。人のやり方や姿勢なんか気にしていないで、自分のことやればいいのです。

先ほどの定例会議の例も、参加することが目的ではなくてあくまで会議の目的は目標の達成なので、会議は不参加だったけど資料を読んで内容を把握して進んでいれば問題はない、と言う考え方もできます。それがいいかどうかはおいておいて。

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人は見えている部分でしか判断しない

ぼくの昔のチームメイトにめちゃくちゃ声帯が強いやつがいて、その彼はどれだけ声を出しても枯れませんでした。一方ぼくの声帯は軟弱なので、1日練習していると終盤には声が枯れてきます。

そうすると声の枯れない友人は先輩から「お前は練習中声出していないから声が枯れていない」と言われて、無限声出しの刑が待っていました。(この例えもそのしごきが良い悪いではなくて、見えている部分しか判断しないと言う例です。)

だから会議の参加率とか、納期の早さとか、声の枯れ方とか目に見える成果を出すと熱量があると判断され、そういう見える部分で目立たないと熱量が低いとも思われます。実は裏で根回しが上手だったり、色んな人の意見を吸い上げるなどの目立ちにくい特技を持っているかもしれないのに。

頑張り方は人それぞれなので、見えている部分の熱量が低く感じるからと言って、必ずしも頑張っていないわけではありません。熱量が低いと、見ている人が勝手に思っているだけです。自分の当たり前を相手に押し付けているから、やる気がないように見えてしまうんですよね。相手に勝手に期待をしてしまっている証拠です。

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まとめ

今回は、みんなで同じ目標に向かって頑張る時に全員の熱量が同じとは限らないと言う話を書きました。ここまで書いてみると、ぼくが言う熱量とは「ノリ」に近いかもしれません。ノリだとすればさらに人によって異なります。そんなノリをいつだって合わせろと言うのは自分勝手にも程があります。

熱量が低く感じるからと言って、手を抜いているわけでもやる気がないわけでもなく、頑張り方は人様々という前提を持っておくだけで「チームの雰囲気が悪い気がする」という主観によるイライラはかなり抑えられると思います。

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Yusuke Kitagawa
カンボジアの農村部に建設した小学校を遠くからサポートしながら、楽しいカンボジア生活を文章、動画、写真にして暮らしています。