上記の画像やその他ぼくが映っている写真を見てもらえばわかりますがロン毛です。30代目前のいい歳した大人の男がロン毛です。なんならつい最近までピンクのロン毛でした。
おしゃれしたいというより、自分の興味に従ってやってみたいことをやってみたって感じです。
「なんでロン毛なんですか?」ってよく聞かれるので、この記事ではロン毛になった経緯と髪の毛事情をまとめました。
ずっと短髪だった
ぼくは小中高大と野球をやっており、基本的には短髪で学生時代を過ごしました。特に中高は坊主だったのですが、それはそれで別に気に入っておりました。
大学時代も最初は野球を頑張る決意で坊主にしましたが、部内のルールは派手すぎなければ原則自由だったので、上京した田舎者は少しだけ髪を伸ばしてイキがってみるなどもしました。
大学野球が終わって、教育実習が終わってからは「今までできなかったことをしたい」ということで、コンビニで髪染めの液を買って茶髪にしてみました。が、すぐに飽きました。
色は伸びてからプリンになった時がダサく、一回染めると永遠に染め続けないと永遠にダサいからです。色よりも大学の卒業式で一生に一度の髪型にしようと思いそこから一度髪の毛を切らずに伸ばし続けました。目標はリーゼント。しかし卒業式目前に思わぬ事態が。
ぼくは大学卒業後に、地元静岡県の公立高校で常勤講師としての勤務が決まっており、ちょっとその関係で地元に顔を出したら体育教官室の先生たちが全員「なんだその髪は」という目をしております。目線はきつかったですがその日をやり過ごせば、本格的な勤務までに切ればいいと思っていたのですが、その翌日に教育委員会へ行くことになりました。これはまずい。教員採用試験を受けようと思っている学生が半年間放置した髪の毛で書類を提出に行ってもいい印象にはならない、ということでぼくの卒業式リーゼント計画はここで終了。
当時付き合ってた彼女にダサいと言われ、バイト先の社員さんたちにも文句を言われて、それでも卒業式のためだけに伸ばし続けた髪の毛は教育委員会へ行く前日にバッサリ切りました。
そして高校勤務の4年間ももちろん短髪。
いい歳した大人の男なのに髪の毛を伸ばし始めた理由
体育の先生の仕事を辞めた翌日に一旦いろいろリセットする気持ちで坊主にしました。
そこからはアシメにして左右不揃いにしてみたり、ツーブロックで刈り上げたり、ラインを入れてみたりと教員時代にできなかった髪の毛遊びをしてみましたが、すぐに飽きました。つまらん。
ただ仕事はやめているので、ぼくの口座のお金も徐々に減っていくんですよね。やめた後もいろいろ自分で仕事を作ったりしましたが、うまくいくことばかりでもなかったので次第に髪の毛にお金をかけること馬鹿らしく思えてきたので行くのやめました。
この頃の生活レベルは本当に脱出できて良かったけど、月数千円の美容院代がとにかくもったいなかったのです。だから髪の毛を切らないという選択からぼくのロン毛生活は始まったのです。
いい歳した大人の男が髪の毛を伸ばし続ける理由
で、髪の毛を切らなくなったらいろんなことが好循環し始めました。
- やりたくもないけど生活のために一時的にしていた仕事辞めれた
- クラウドファンディングがサクセスした
- カンボジアの学校建設が具体的に進んだ
- やりたい仕事が舞い込んで来るようになった
- お金に困ることが減った
何度かピンチもあったけど、なんだかんだ乗り越えてこれて「これはもしかしてロン毛にし始めてからでは?」と言った感じです。
伸ばした髪の毛にパーマ当てたり、ピンクにしてみたりと教員のままだったらできなかったこと楽しんだりもしました。
まとめ:髪の毛を伸ばす理由は完全に貧乏からのゲン担ぎ
ということでロン毛の理由は「髪の毛切るお金がなかったけど伸ばしていたら人生がうまく回り始めてそこからはゲン担ぎ」でした。
ぼくは短髪でいることも、なんなら坊主にすることにもなんの抵抗もない人間です。そしてロン毛でいる自分が自分らしいとも思いませんが、自分の心がやってみたいなって思ったことと世間の目を気にして自分を合わせるということを繰り返していくうちに、果たしてどっちが重要なのかと思うようにもなりました。髪型で印象は変わるかもしれないけど、勝手に評価してくれるなと思います。
ぼくはこう見えて友人の結婚式ではほぼ高確率で友人代表スピーチをするのですが、人前に立つと座っている他の友人たちからは「いい歳してなんだその髪型は」というイジリが入ります。確かにこの髪型でどこかの会社の面接に行こうと思う人は少ないだろうし、今(記事執筆当時)付き合っている彼女にも「ウチの親に会うなら切ってくれ」と言われました(もちろん断りました)。
人からどうみられるかで自分を変える必要はなくて、自分が必要だと思えば切るだろうし、必要なければやりたいようにやる。ぼくにとっての髪の毛は、もしかしたらその時々の生き方を表現するものなのかもしれないなと思いました。
別に目立ちたいわけでも、わがまま通したいわけでもなく素の自分でいられるように心がけて生きていこうと思います。
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