先日結婚式の打ち合わせに行って来ました。
その際に配られた事前調査のような紙があって、要はプランナーが新郎新婦はどのような人柄で、何が好きで、どんなことを考えているかを知るための、よくある用紙だったんですが。
文章書いて生活しているので、こういうの特に困ったことないんだけど、頭をかかえる項目がいくつかありました。
その中の一つ、「将来の夢」という項目。
将来の夢・・・?
小さい頃に描いていた夢なのか、それともここから先の将来のことを言うのか。
でも、ぼくがもらった用紙の文脈というか、前後の項目から察するに幼い頃の記憶ではなく、今のこと言ってるんだろうなって感じだった。
改めて考える、ここからの将来の夢。
ぼくにはやりたいことがありすぎる。
だけど、将来の夢って改めて聞かれると、ものすごく漠然としている。
『今日人生が終わってもいいように後悔なく生きる』
なんて薄っぺらいこと言う気はないんだけど、ぼくはやっぱり人に生まれた以上、何かを残し続けたいという意志がある。
カンボジアの小学校建設も、今振り合えるとぼくの信念というか想いが詰まったものだったんだなって後付感満載で書きますが。
全くお金にならないことでも、何かをし続けることで、後々大きなものとして帰ってくると思うんです。
それが明日なのか、1年後なのか、30年後なのか、そんなのわからない。
返ってくるんだろうけど、それがいつなのかわからないから、目先の利益や世間体なんかより、自分が想う幸せを追求して、身近なところに幸せにできる人たちがいてくれるなら、せめてその人たちだけでも幸せにできたらいいのかなって想うわけです。
もしかしたら返ってこないかもしれないけど、自分が良かったらそれでいい。
素直に。
あとは自分が想う幸せの形に、相手がいるかどうか。
自分勝手じゃないかどうか。相手が笑ってくれるかどうか。
ちなみに人生80年とか言われているけど、このブログを読んでくれたみんなは何年くらい生きるつもりですか?
人生なんて残りのHPがわかるわけじゃない。
明日死ぬかもしれないし、100歳超えてもピンピンしてるかもしれない。
だから80歳のことを夢見ても、やりたいことがやれるか以前に、そこまで生きていることすら叶わないかもしれない。
そうなると、将来に備えるってなんなんだろうって思ったりします。
ぼくはいつまで生きるつもりなのかって考えたら、いろんな人に35歳までの人生と言われています。
今年30なので後5年。
別に占いとか信じないし、イベント中に急に呼び止められた人にいろんなこと言い当てられて、その結果「35歳で死ぬ」って3人の占い師、預言者みたいな人から言われたからって、鵜呑みにしているかって言われたらそうでもない。(そんなことがあったんです)
でも、みんなが揃いも揃って、ぼくの人生を35歳と言い放つなら、35歳までにやりたいことを詰め込んでやろうと想うわけです。
もちろん命の残量なんてわからないので、明日ぼくは死ぬかもしれないし、35歳過ぎたってやりたいことやってたりもする。
35歳待たずにやりたいことやりとげるかもしれないし、35歳過ぎて生きてても仕事もお金もなくてホームレスかもしれない。
誰と、どこで、何をして、どこに住んでいるのか。そんなことわからない。
だから、今やりたいことに対しては全部やるし、35歳までに達成したいことも必ずやる。
やれるって思ってるし、達成した自分もイメージできている。
(個人的に目標達成した自分の姿がイメージできるものは、大概達成できる。これまでもそうだった。)
でも、更にその先の自分って今はイメージできない。
だからやっぱりこの5年なのかなって。
やりたいこと全部達成するためには、愚痴を言っている暇も、うまくいかなくて嘆いている暇も、誰かの成功に嫉妬したり、陰口叩いてる暇もないんです。
あと5年しかないのなら、今やりたいこと、そのためにやるべきことを、後回しにする理由はぼくにはないんです。
やりたいことを後回しにする理由の多くはきっと、「お金がない」「時間がない」ってことなんだと思う。
けれど、本気になればどちらも生み出せるって知っているから、「よくわからない未来」のこと考え過ぎて、今を窮屈につまらないものにするくらいなら、「イメージが湧く少し先の未来」のために今動き出すだけ。
そう想うわけです。
あとは「人や社会からどう見られるか」。というしょうもないほど小さなことへの葛藤。
そんな心のブレーキを外したら、一気に人生は動き出すのかなと。
「行動力がある」と言われることもありますが、ぼくにとって動くということは、これまでもこれからも特別なことではなく自然なことです。
そして、行動力と呼ばれるものに付随している行動そのものは、実は大して大きくないものが多いのかもしれません。
「あなたは、人が無理だって想うことも成し遂げてしまう人でしょ?」
「そのためにどうしたらいいか考えて動ける人でしょ?」
と褒め殺されることもありますが、最初からそんなこと狙ってできるものじゃない。
それはきっと、小さな行動をするかしないかの積み重ねの差であっただけで、ぼくだって別に特別な人間ではないことは、みんな知っている。
行動力があることがすごいのではなくて、結局自分のためには動き続けることしかぼくはないのだと思っています。
会いたい人には会いたいと言えばいい。
旅に出たければチケットを探せばいい。
美味しいもの食べたければ食●ログのページでも開いたらいい。
っていうか、会いたいと言わなかったら、チケットすら探さないなら、できるできないの前に、何にも始まってもいないんです。
動くか動かないか、その本当に少しの差がきっとこの先もなかなか埋まらない差なんでしょう。
いつかやりたいことができなくなってしまう、伝えたいことが伝えられなくなってしまう日がぼくらにはやってくる。
それだけはわかっている。
でも、それがいつかわからない。
だから、今やらない理由を探す時間は、ぼくにはないんです。
どうしたら実現できるか。それだけなんです。