最低限度の生活を保障をされた挑戦者は本当に頑張れるのか?という話

こんにちは、北川勇介(@yusukeworld_)です。

最近ニュースで取り上げられているお笑い芸人さんの会見を通じて、ネット上で見かけた「全芸人に最低限の賃金を払うべき」という意見が気になったので記事にしました。

これ実は、その業界だけでなくいろんな世界にあるのでは?という話です。

要するに…

「最低限の賃金」をもらえば人は本当に頑張れるのか?

というのが今日の論点です。今回の一連の騒動への言及ではありませんし、最低限の賃金を保障するな!って話でもありません。

最低限度の保障があれば頑張れるのか?

やっていることも立場も違えど、ぼくも個人事業主の端くれなので感じます。毎月安心できる収入が保障されたい。

ですが、保障された身になったら今よりおもしろいブログが書けるか?というとそんなことはないかなってことも感じます。

 

食えないほどの極貧時代は本当しんどい

当たり前のことですけど、どれだけ好きなことやっていても食えない時期はやっぱりきついですそりゃ。

ぼくにも1ヶ月ブログ書き続けて300円とかって時期が普通にありましたから。

 

「最低限を保障すれば悪いことしない」は幻想

この発想は、教員時代にいた「テスト前は部活を休みにすればみんな勉強する」という幻想を抱えた教員に近い気がします。

高校生の頃、テスト前だからって部活休みにされたって自主練するやつは自主練するし、遊びに行くやつは遊びに行きます。

部活を休みにして時間を確保すれば勉強するなんて、HPを無限に持て余した高校生たちはそんな単純ではないですよね。

 

最低限度がないから中途半端な人は来れない世界

例えば、今回話題の中心にありつつある吉本興業が、全芸人に毎月10万円の給料を保障してくれるとしたら。

今の生活をやめて「俺も芸人になろうかな」って甘い考えの人が出ると思いません?

売れても売れなくても、最低限度の生活が保障されていたらハングリー精神のかけらもない根性も覚悟もないような人たちが「なんちゃって芸人」として爆発的に増えるだけな気がしませんか?

 

引くに引けないまま人生を棒にふる

最低限度は確かに生活を守れて安心かもしれませんが、チャレンジングな人にとっては生活が保障されると、楽ではないけど大して頑張らない人が増えるのでは?というのが個人的な意見です。

そして生活は楽ではないけど、なんとなく暮らせているし、具体的な目標も達成できないけど辞めもしないという人が増えるのではないですかね?

月収300円だった頃の弱小すぎるブロガー時代のぼくが、最低でも毎月10万円保障されていたら「これ以上頑張らなくてもいいや、でも10万円もらえなくなるからとりあえずで書こう」って思ったかもしれません。

 

最低限度の保障で引くに引けない人の実例

例えば海外の現地採用で働く人たちにも似たようなことが言えると思っていて、同じように人生を棒にふるかもしれないリスクがロマンの陰には潜んでいます。

 

現地基準という罠

例えば今ぼくが暮らしているカンボジアにも、現地基準の給与で働く日本人がいます。

もちろんこの論点も、そういう人たちが正しいとか間違っているとかそういうことではなくて、この現地基準の保障こそが一つの罠でもあるのです。

日本と比較して物価が安い国と言われる国でこそ実現できる最低限度の保障だとしたら、2019年現在のカンボジアの最低賃金は$182/月。

これに、日本語と英語が話せて外資企業という条件で給与に色を付けまくったとして、500〜800ドルの給与。

それも朝から晩までフルタイムを超えたスーパーハードワークなんて場合も。

贅沢も幸福度もあくまで人それぞれですが、給与としては猛烈安いですよね。

それでも暮らせてしまうのも事実です。

 

海外で働く=すごいの幻想

おそらくですけど、働いている本人も感じているはずです。

給料が安い、もっとほしい、やりたいことができない。と。

しかし「海外で働く=すごい人」みたいな幻想を日本にいる人たちから擦り付けられて、お金はないけど頑張っている自分がなんか認められている気がして、給与にも自分のスキルにも満足していないけど離れるに離れられない人も多いのではないかな。

ほしいもの、食べたいもの、行きたいところを我慢しているのに、自力で帰国する余力もないのに、なぜか勝手に仕立てられている「キラキラしたすごい自分」と「本当は気づいている自分の現状」にギャップを感じながら苦しんでいる人だっているはずです。

 

リミットがない

この問題の厄介なことは、最低限度とは言い難いほどの保障しか受けられていないのに、その最終期限がないことです。

例えばお笑い芸人がこぞって参加するM-1グランプリも、コンビ結成10年以内という縛りがあります。

これは「一生懸命やって10年経っても売れなかったら潔く諦めなさい」という主催者側の優しさであると聞いたこともあります。

司法試験や一部地域の教員採用試験では年齢制限が設けられているのも、夢を追いかけることは応援するし機会も与えるけど、闇雲に期限もなく追いかけて一生を棒に振らせないための温かな施策の一つではないでしょうか?

そういったリミットもなく、自分の満足いく生活も実現できないで、引くに引けない若者を育てている現地採用制度そのものが優しくない気がします。

テレビのように売れた売れないが世の中全体に明確になりにくいぼくら庶民の暮らしは、芸能人よりはるかに方向転換しにくい場合もあるのだということです。

 

最低限の保障があれば本当に人は頑張れるのか?

結論としては、最低限度の保障があると安心だけど、挑戦したい人にとっては結局頑張れず現状に甘んじるというのが個人的見解です。

最低限度の賃金も保障するな!ってことではなくて、あくまで何かに挑戦するのであれば、いけるとこまでいきたいし、それでもダメな時は自分が一番よくわかるはず。

それを周囲の変な期待によって期限を曖昧にしたり、怪しい話に誘われてアウトな行動にならないようにすることも人が集団で生きる意味でもあると思うのです。

「いつまで」「この先は(やばい)」という境界線を持っている人にとっては、最低賃金のおかげで生活が守られて、その中で見出す未来もあるのでしょうが、それもなく現状を維持することは思考停止であって最低賃金のせいで抜けられなくなる可能性もあるということ。

なので、最低限度を設けるとするなら、その中には給与だけでなく期間も定めてあげた方が優しいし先を考えやすいよね!というのがぼくの意見でした。

そんな感じで。

また明日。

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