ローカルに暮らすソーシャルに生きる|地球規模で物事を考え、目の前の世界を生き、社会へ届けていくブログ

地球規模で物事を考え、目の前の世界を生き、社会へ届けていくブログ

北川勇介をフォローする

コラム

便利は不便の先送り。海外生活や海外での活動から学ぶ生きるということの本質

投稿日:

 

カンボジアから帰ってくると毎回いろんなことを感じます。

 

食事や水、トイレなどの公衆衛生、公共交通機関・・・

 

挙げれば切りのないことですが、不思議と初めて行った時からこれまでで、帰国するたびに着眼するポイントは違います。

 

おそらく長期で海外に出ている人ほどわかると思いますが、僕は海外にいると無性に日本食を食べたくなります。

 

もちろん、僕がよくいるカンボジアの料理だって美味しいし、何も困るわけではないのですが、やっぱりおふくろの味というのか、今では嫁の味というのか。

 

日本の味付けって、うまいな〜って感じます。

 

技術の進歩に伴う生活の快適さ

それと同時に日本での生活が始まると、便利で快適な暮らしにも気付きます。

 

東南アジアのように停電が頻繁に起こるわけでもないし、スイッチ一つでご飯を温めたり、ドアを開けるだけで保存するために食べ物を冷やしておいたり。

 

洗濯物は自動で回してくれて、家によってはスイッチ押すだけで浴槽にお湯が溜まったり。

 

始めて海外に長期で行き、帰国した際にはこれらのことにいちいち感動し、日本で暮らすことの幸せを噛み締めていました。

 

しかし、最近はというと、帰国直後こそ日本のテクノロジーに甘えたくなるものの、その環境で1週間も生活していると自分の中のいろんなものが鈍っていく感覚を覚えます。

 

便利は不便の先送り?

何度も言っていますが、僕らは文明(?)の発展とともに開発された、もしくは開発され続ける技術の中、便利で快適そうな暮らしに身を置いています。

 

たった数年前ですら存在しなかった便利な製品が並び、いつかはこういったものが当たり前になってきて、それこそ小さい頃にドラえもんの物語の中で見ていた「こんなこといいな、できたらいいな」を形にしてくれる製品に囲まれて生きる日が、常識になってしまうのでは。そんなことすらも考えます。

 

ただその便利で快適な暮らしが、本当に僕たちのためになっているか?と聞かれれば首をかしげたくもなります。

 

生きることをめんどくさがらない

例えばカンボジアにいると、家庭では一食で食べる分だけを調理します。

コンロなんて、農村部にはないので毎回炭火を起こし、食べる分だけの米を炊き、肉や野菜を調理して食べます。

 

その直前に家の裏から聞こえてくるニワトリさんの叫びと言ったら、そりゃもう。

 

また、日本のように浴槽はなく、毎日水浴びをしますが、子ども達もある程度の歳になれば、水浴びしたタイミングでその日に来ていた服を自分で洗うようになります。

 

もちろん失敗もあるでしょうが自分で試行錯誤しながら、親や兄弟から教えてもらったことを上達させていきます。

 

その過程の中に、自分だけのオリジナリティに溢れた工夫をすることで、自分がやるべきことを効率化させたり、やりやすくしたりという快適さを見つけているのだとも。

 

地球と共存していく人々

また、情報がない地域に行けば行くほど地球と寄り添って生きているのがよくわかります。

 

例えば天気予報なんてなくたって、雲の動き、風に変化、いろんなものを見て村の人たちは「ユスケ、もうじき雨が来るぞ!」って教えてくれます。

 

子ども達も外で遊ぶのは暑いから、どの向きにいれば太陽の動きとともに日陰が増えるか、眩しくないかを知っています。

 

電力に頼らなくても別の力がある、今ある道具で効率を生み出す、地球の息吹とともに寄り添って生きていくことがどれだけ素晴らしく尊いものかを考えさせられた瞬間でもあります。

 

技術に任せるか知恵を持つか

もしも日本では当たり前になってきているような利便性、快適性を生み出すものが、いろんな方面でストップしてしまったら、僕たちはどうなるでしょう?

 

きっと「こうしよう!」より先に「どうしよう?」の方が多く生まれると思います。

 

その時に、自分の力で何とかできるものがいくつあるのか?

 

これこそが豊かな人生を生きることができるかどうかだと思います。

 

もちろん、技術の進歩は止まることなく、更に進化した製品がこの世に排出されていくと思います。

 

科学者や研究者達の生き甲斐でもあり、やり甲斐だとも思うので。

 

見えているものを証明することが科学だとするならば

世の中には、見えないことが多数あります。

 

その一つが、僕たちが使うことができる地球のあらゆるエネルギーの生産量と消費量のバランスです。

 

この辺は僕は詳しくないので、深く言及することは避けますが、見えないものを見えるようにしていくには科学技術の進歩だけでは間に合わないのでは?と思ったりします。(できもしないくせに偉そうですが)

 

では、その為に何ができるか?と言えば個人でもできることを主体的に取り組んでいく必要がある訳で、その一つが「自分の生活でできることを増やしていく」だと考えています。

 

機械やサービスに頼らなくとも、自分でできることが増えれば余分な消費を抑えることができるはずです。

 

ここでいう消費は単にお金を使うということだけではありません。

 

自分でやれることが増えれば、自然のエネルギーを過度に使わずとも生活ができます。

 

僕らが個人間でそんなことしたって、地球のエネルギーを生み出すこともできなければ、生産と消費のバランスなど見えないものが見えるようになるかと言われれば、できません。

 

でも、それはできる学者さんたちがやってくれることです。

 

大切なのは、他人事ではなく自分ごととして今この環境を考えて生きていく。ということだと思います。

 

追い求めても切りがなく、いつかもしそれらが失われた時に何もできない自分になってしまうのなら、追いかけることをやめて、無駄を省いて、できることを増やしていく。

 

そういったことも「丁寧に生きる」ということだと思うし、何よりできることを増やしていくことこそ、生きるということの本質なのかなと思います。

 

時代とともに技術だけ進歩し、人の力が退化していくなら、何の為に世の中が便利になっていくのかわからない。

そんなことを感じながら、日本の技術様様の温かい便座の上で下書きしてました。

Facebookでも
情報公開中。







RECOMMEND



カンボジアへお越しの際はぜひ!

普段は、世界遺産アンコールワットのある街カンボジアのシェムリアップで「たまり場」をつくっています。
こだわりのカレーとコーヒーを用意して、ブログ書いて生活しています。
シェムリアップへお越しの際は、ぜひ遊びに来てください。

-コラム

Copyright© ローカルに暮らすソーシャルに生きる|地球規模で物事を考え、目の前の世界を生き、社会へ届けていくブログ , 2018 AllRights Reserved.