ブログ書かない人は全くわからないと思いますが、ブログ書く上でぼくは「誰に届けたいか?」を明確にイメージして書いています。
前にも少し書きましたが、何を書いても響く人には響くし、響かない人には響かない。
情報発信なんてそんなもんです。
だからこそ、誰に何を届けたいかは大事だと考えています。
多くの人に”かする”文章より誰か一人に”刺さる”文章。
それがぼくの目指すものでもあります。
ぼくはもともと文章を書くのが好きだし、頭の中に巡って来た想いを言葉にする作業はずっとやってられる気がします。
動けば動くほど景色が変わるからこそ巡ってくる想いも増えるし、幸せなこともしんどいことも、味わうことが増えていきます。
そんな経験一つひとつが、人生をまた豊かにしてくれていると思う一方で、見たくもないことが目に飛び込んで来たり、聞きたくもないことを耳にすることで、思考よりも先に感情が巡ってくることも確かです。
短気からの脱出
以前何かの記事で「受動意識化説」という言葉を聞きました。
目の前で起こる事象に対して、人は勝手に後付けで自分の感情を作っているということです。
楽しいと思う時には楽しい理由を、悲しい時には悲しい理由を、腹が立つ時には腹が立つ理由を探して、自分を納得させている。
なるほど。
ぼくは、すごく短気です。
だからすぐ顔にも出るし、感情的になります。
人の性格なんて、そんな簡単に変わらないからこそ、最近はイラっとした後に一瞬冷静になろうとしています。
「うわ、俺ってこんなことでイラっとするんだー」って気付きを得るために。
特に大好きとか、大切とか、思い入れがあるものへのネガティヴな事象になればなるほど、ぼくの感情は秒もかからず一瞬で爆発する。
ましてや、大好きとか大切であればあるほどその反動による感情の変化はとても大きくなります。
ぼくはきっとこれをこれからも制御できないし、それこそ意思とか思考を超えて反射で起きている気がします。
ぼくはそれでいいと思っているし、自分を変える気もないし、仮にそれがマイナスだとしても、そんな自分の全てを大切にしていこうと思っています。
ブログに話を戻して
ただ、そんなことを意識し始めたらブログが書きづらくなったのも事実です。
自分の感情の理由を探れば探るほど、届けたい誰かに届けたい言葉でなくなったりもするからです。
今まで通り何も考えずに、思いの丈を書きなぐった方がもしかしたら「自分らしい」のかもしれません。
だけど、ブログという一方通行のツールで届けたかった想いが、自分の気持ちだけでなく、読み手の気持ちを考え始めた瞬間に何を届けていいのかよくわからなくなりました。
言いたいこと言ってたら満足か?
そうじゃないなと。
損得とか利害とかじゃなく、自分の言葉は人を温かくしているか?
そう考えるようになりました。
まとめ
最初に書いた通り、ぼくはこれからも届けたい人を鮮明にイメージして「文章」を綴っていきます。
でも言いたいことを言う、から、言った言葉でその人を温かくさせる、へと変換して。
そんな言葉や想いを吐き出していきたいし、届けたい。
同じブログを書く、という行為でも少し不慣れなことをする分、言葉を並べるのに時間がかかるかもしれません。
それが本音ではなく、造られたものだと言われるかもしれません。
ですが、届けたいもの、伝えたいものはきっとこれからも変わらないし、たまに開いてくれたぼくのページのどこを読んでも、温かな気持ちにさせられたら、と思っています。
面と向かって届けるものではないからこそ受け取り方も様々です。
ブログとかだけではなく、各種SNSやLINEとか、日常の会話とかも。
扱う言葉の質を高めていく。
言葉で簡単に人を傷つけることができるからこそ、伝え方次第では人を守ることもできる。
できないことは言わない。
言ったことはやる。
言葉を通じて、Always beside you!!
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