カンボジアに建設した小学校も開校から2年目のシーズンを終えまして、まもなく3年目が始まります。その前にいろいろ思うところがありまして、もしかしたら建設や開校に向けて関わってくれた方々の中にもいろいろ思うところがある人たちがいるかと思ったので、今の気持ちとかを正直に書きました。
開校から2年経った今の感想
なんだか今年は何をやってもうまくいかない。
今年の3月から始めたBASECAMP SIEMREAPというプロジェクトも、かなりイメージと違う進行状況。
このプロジェクトをやり始めた頃から、違和感みたいなものがあった。
ぶっちゃけ学校が建ってから昨年末までは、いろいろ紆余曲折はあったものの、やりたかったことを順調に形にしてきた。
「カンボジアに小学校を建設した」という財産だけで、2017年末くらいまではやってこれた気がする。
もちろん一人で成し遂げたとは思わないし、たくさん助けられた。
だけど助けてくれた人たちがぼくを見る目と、学校への関わり方を変えようとしたぼくとの間に生まれたギャップが違和感を感じさせていた。
「カンボジアに小学校を建設した北川勇介」
「その小学校のある村や子ども達と隣で寄り添って生きていく北川勇介」
もしかしたらこんなイメージが、あなたの知っている、あなたが応援したかった、あなたがいいなと思ってくれた北川勇介像かもしれない。
ぼくが感じた違和感は、ぼくが見据えている未来に向かう行動が、周囲から望まれている行動とズレていたからだ。
そのズレが今年に入ってから急に大きくなった。
望まれている姿であり続けることは、ぼくがぼくでありながら、生き方を演じなくてはいけなくて、それに無理が生じた。
ぼくは変わらず、この村の学校と子ども達の未来を見ていてブレていないのだけど、周囲から見るとやっていることが明らかにブレている。
関わっているうちに、関わり方を変えてきただけなのに。
ただ、ぼくのことをブレていると思った人は、嘘つきだと思ったかもしれないし、裏切られたと思ったかもしれないし、愛想をつかしたかもしれない。
そうやって面と向かって言ってくれればまだ良かったのかも知れなかったけど、優しくて善くしてくれた人たちほど、静かにそっといなくなった。
そしてその頃から、声なき声みたいなのが気になるようになった。
「お前、結局何やってんの」
「最近何がしたいのか全然わからん」
「言ってたことと変わってんじゃん」
「だからあの人は離れたんだよ」
声なき声と言ったのは、本当に声がなかったわけではなく、本人から直接言われたのではなく、多方面から回り回って色々な陰口を聞いたから。
聞いてもないのに、聞きたくもない声がいっぱい届いてきて、なんかいろいろ嫌になった。
人間関係も崩れていった
ちょっと話が逸れるけど、2016年に開校したら一区切りになると思っていたプロジェクトは、思ってもいなかった形で進み続けた。
開校後も何かあった時に、募金に頼らなくてもいいようにと、新たなプロジェクトを立ち上げた。当時結婚したばかりだったぼくはカンボジアにいる時間が増えた。
そしてそのプロジェクトは子ども達が描いた絵をネックレスにして販売するというもの。その収益を子ども達に関わる活動費に充てたりした。
そしたら村で誤解された。
子どもを使って金稼ぎしていると言われて、2ヶ月くらい村で口を聞いてもらえなくなった。
だから、そのプロジェクトはやめた。
そんな思いをしてまで、ネックレスを作りたくなかったから。
そしたら「作ったこと、売ったことへの責任を果たせ」とか「始めたことを簡単にやめるな」と言われるようになった。
どうしたらいいかわからなくなり、誰にも相談できず、資金も底をつき、ボロボロになって帰った日本でそのまま離婚もした。
離婚したらさらに状況は悪化した。
「相手がかわいそう」
「なんでもっと近くにいてあげなかったの?」
「自分がやりたいことやれてれば幸せなの?」
と聞かされた。
このダメージは思ったより長くて、それからしばらくして付き合った今の彼女に対しても
「なんであの人といるの?」
「なんでそういう関係になったの?」
という声が回ってきた。
これもどちらも直接ではない。
「〇〇さんが言ってたよ」「みんな言ってるよ」といろんな人から変わる変わる言われた。
これが声なき声。
言うだけ言われて、友達と呼べた人たちが離れていった。
BASECAMP SIEMREAPというプロジェクト越しに見る未来
今年から始めたBASECAMP SIEMREAPというプロジェクト。
住めて、働けて、食べれて、学べて、遊べる場を作りたかった。
でも始め方をミスった。
具体的なシミュレーションもないまま、「いつ開けるの?」「まだやらないの?」という声に負けて、なんとなくスタートさせてしまった飲食部門。
大滑りした。
住めて、働けて、食べれて、学べて、遊べて、どころじゃない。
雇用すらできていない。
やればやるほど増えていく赤字。
ぼくは「損切り」と考えができず、ただ頑張っていればそのうち報われると思っていた。
報われるまで続けるしかないと思った。
これが間違っていて、そもそもやり方がミスっていた。
ほぼほぼニーズのないことをしていた。
なのになぜか、自分だけはすごいことして、頑張っている気になっていた。
そんなことばかりをしているうちに、全然学校へ行けなくなった。
多分その姿を見てだと思う。
「学校のこと全然やっていないけどいいの?」
時間もお金も十分になかった。
だけど変わらないものがある
なんかここまで暗い話ばかり書いてきたけど、いいことももちろんあった。
何があろうが変わらず一緒にいてくれる、何を使用が応援してくれている、また学校へいくことを楽しみにしてくれている人たちがいる。
そのことが再確認できて、嬉しかった。
そして、ぼく自身、やることは変わっている。
これからも変わっていく、というか変えていく。
だけど根っこの想いは変わらない。
この場所を、この村の人たちだけでなく、同じように大切にしてくれている人たちにとっても大切にしたい場所であり続けるように、ぼくは守り続ける。
熱量は一緒。決して消えていない情熱。
ただ燃え方が違うのだと思う。
昔は山火事のように周囲を巻き込みまくって燃えていたけど、今は炭火のようにじっと燃えている。
触ると火傷するぜ。
燃え方が変わったことで、嫌な思いをさせたり、トラブったり、愛想をつかせてしまった人たちには申し訳ない。
それは自分が未熟だったとしか言えない。
目の前の対応に追われて、周囲の人を大切にできていなかったと言われれば、もう言い訳もできない。
もっと考えて行動していれば違ったかも知れない。でもできなかった。
ごめん。
まとめ
ぼくはこれからも、自分が思う理想に向かってやっていきます。
もっともっともっと考えていかないと、同じこと繰り返すかも知れない。
離れていった人たちに、わかってくれとは言わない。
見ていてくれるとも限らないけど、いつ、どんなタイミングで振り返っても、胸張ってられるようにやっていきます。
そのやっていることは、思ってたんと違うって思われるかも知れないけど、根っこはブレないから。
もしまた、北川勇介と一緒に何かしたいって思ったら、声をかけてほしい。力を貸してほしい。
それが今の本音。
コメントを残す