自分が一生懸命頑張っていることを人に笑われて嫌な思いをしたという人はいますか?
もしも自分の努力を馬鹿にする人がいるなら、胸を張っていいことです。
なぜならそれは、笑う人と自分に明確な人生の差が生まれたことの証になるからです。
努力を笑われたら胸を張っていい
努力を笑う人に豊かな人生は待っていないからです。
その瞬間、あなたとは明確な差が生まれました。おめでとう。
努力を笑う人の結末
- 努力することや努力している人を「かっこ悪い」という思考で生きている
- 自分は「かっこ悪いこと」ができなくなる
- 人生から努力や挑戦や学びが消える
- 成長する機会が圧倒的に減り、成果のない人生になる
人の行動を批判すると、自分はその行動を取りにくくなります。
頑張ることを馬鹿にした人は、その後の人生は頑張れず、自分のためにもよろしくない行為。
努力を笑われた人
一方で笑われた人はチャンスだらけです。
自分が一生懸命やっている姿勢が他人に伝わっている訳なので、あとは継続あるのみ。
毎日の積み重ねは目に見えないくらい小さくても、継続した未来での差はとんでもなく大きい資産になります。
あなたの頑張りが他の誰かのやる気に火をつけ、何かに没頭できる仲間が見つかるかもしれません。
望み通りの成果が出なかったとしても「何かに夢中になった経験」はその後の人生で、夢中になる対象が変わるだけ。
いずれにせよ大きな資産です。
努力は質より量である
世の中では「無駄な時間を費やさないで良質な努力をしろ」という人もいます。努力は質か量かと聞かれたら最初はとにかく量やるしかない。
理由は3つます。
- 成果を出している人の作業量は半端じゃない
- 作業量が多いと、努力の質が高まる
- いきなり質の高い努力は難しい
成果を出している人の作業量が半端じゃない
世の中を見渡してみたらわかると思いますが、何かしらの輝かしい成果を上げている人たちは作業量が半端ない。口では「大したことしていない」と言うかもしれませんが、圧倒的にそこに時間を費やしています。
逆に言うと、「大した努力もしていないのに成り上がった人」ってのは、見ている側の人の印象にすぎないと思います。モデルさんのスタイル維持とかもそうだと思いますが、暴飲暴食して怠惰な生活を送っているはずがないです。みんな生き残るために圧倒的努力をしている。
作業量が多いと努力の質が高まる
「どうやったらいいのか?」という正解はこの世の中には落ちていません。絶対にプロ野球選手になる方法とか、ないですよね。なり方なんか誰にも分からないけど、正しいと思うことを続けるしかないです。その中で勝手に質が高まっていく。プロ野球選手になったことないので、推測ですけど、多分そう。
それなのに、多くの人は「答え」を探しています。それも「なるべく努力を必要としないで実現できる答え」を。それに応えるように「〇〇するだけでマイナス10kg」とか「1日5分で英語がペラペラ」みたいな情報が飛ぶように売れます。そんなわけないのに。
話それまくっていますけど、要するにやった人にしか分からないポイントがあり、やりながら修正していくことでその人にピッタリのやり方がわかるのであり、それが質であるということです。
いきなり質の高い努力はできない
自身の話で申し訳ないですが、大学受験のために本格的に勉強を始めた時は一冊のテキストを一周させるのに二週間以上かかっていたんですね。それも一冊終わったところで偏差値も大して伸びていないし、内容は間違いだらけでした。多分、ここで多くの人が「やっても意味ない」とか「自分には向いていない」と言ってやめます。でも、ぼくは続けた。
そしたら受験日までに13周できました。最後の一周は受験前日に2時間くらいで4cmくらいある厚みのテキストを終わらせました。そして正答率も高い。ここでようやく「質の高い努力」を実感しました。費やした期間は半年くらい。
努力量の増やし方
最後に努力の量の増やし方を解説します。
これは非常に簡単です。
- 人より早く起きて作業
- 人より遅く寝て作業
- 隙間時間も作業する
努力量を客観視しよう
意外と「やっているつもり」になっている人は多いので、努力量を客観視するといいですね。
例えば、升目のノートを買って3時間勉強したら3マス塗るとか。
これなら自分の努力の量を客観視できます。
「やっているつもりはいつまでたっても積らない」ので、成果を客観視することが大切。
評価は他人がするもの
たまに「私だって頑張っているんです」という人がいますが、頑張っているなんてのはもはや当たり前の領域。
他人の評価に一喜一憂せず、自分の努力は何のためにあるのか?どこへ向かうのか?を明確にすればブレません。
理想の未来に向かって今日も、コツコツ積み上げましょう。
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