一年前に「SNSやめようかな」って思いついたタイミングでデジタルミニマリストという本を読んだら「やっぱSNSやめようかな」と思って実際にやめてみて、気付いたら一年が経っていたので感じていることなどをまとめてみました。
アイキャッチ画像は自宅ベランダから見えたピンクと水色の混ざった夕焼け。日本に帰ってきてから毎日家が楽しい。
SNSをやめてみて1年が経って感じるメリット・デメリット
この1年間で感じていることなどを、ツラツラと書きます。
特定のSNSだけが悪者ではなかった、という気づき
SNSそのものが悪いわけでも、どれか一つのサービスが悪いわけでもなく、スマホの中にあるたくさんのアプリが、常に自分の注意を奪い合っているんだという事実に気がつきました。
どれか一つだけが悪いわけではないから、何か一つから距離を取っても別の何かに集中力を奪われてしまい、気づけば画面を見つめている時間が増えていたんだと思います。TwitterをやめてもAmazonのセール情報が気になる、インスタを見なくてもヤフーニュースが気になる的な。
なのであらゆるSNSアカウントを削除した後、アカウントは消さないけどiPhone上になくてもいいアプリも消しました。Amazon、楽天市場、YouTubeなどです。必要な時にブラウザで見ればいい。
スマホで何していいかわからなくなった
今までの癖で、目的もなくiPhoneを触って画面を見たりすることもあるのですが「あれ?それで今何しようと思ったんだっけ?」ってなって、結局すぐ画面を閉じて机の上に置きます。
通知も基本的にはほとんど切ってあるので、入れているアプリが何か新しいことを知らせながらiPhoneを触らせようとしてくることもありません。既述の通りショッピング系のアプリも消したので、オンライン上でのウインドウショッピングもしなくなりました。
最近iPhoneでやることといえば
- 電話やLINEに応答する
- 出かける時に乗換案内やGoogleマップを確認する
- 体重計の記録を飛ばして管理する
- 出かけた時に何歩歩いたか確認する
- 外出先で思いついたことをメモやリマインダーに記録しておく
- ご飯や猫の写真を撮る
くらい。これ別にスマホじゃなくていいじゃん。
マジでガラケーにしても問題なさそうなので、結構真面目に検討中です。
承認欲求を抜きにして、本当にやりたいことがわかった
これまでは「人からどう見られたいか」「これをしたらどう思われるか」「自分という人間をどう表現するか」を少なからず意識して活動をし、なんらかの効果を期待してSNSを活用していた部分があります。
SNSをやめると、こういうことを考えなくて良くなります。承認欲求がなくなり、本当に自分がやりたいことが見えてきました。
ぼくなりの「本当にやりたいことは何か?」ですが、人に発信するまでもない平凡な日常を丁寧に生き、そんな人生をしっかり愛することです。
- 目覚ましをかけずに毎朝起きる
- のんびり散歩をする
- 時間をかけて毎日3食味わう
- 豆を挽いてコーヒーをドリップする
- 午前中だけ働く
- のんびり読書をする
- のんびりお湯に浸かる
- 奥さんとよく話をする
- 猫を撫でる
- たまにジムやサウナに行ってスッキリする
- 22時台には寝落ちする
といったような、発信しても仕方がないような愛おしい日々。
「朝ごはん食べたよ」とか「サウナなう」とか「奥さんかわいい」とかつぶやいても誰の役にも立てないし、そんな役立たないものを投稿するような時間を過ごす暇はないので、やっぱりSNSはやめて良かったと思います。
そして今のところ、自分がやりたいように生きられているので満足度も高い日々です。満足度の高い日々は、これをこうやって投稿しようとか考える余裕がないくらい、目の前のことに夢中になれていることにも気がつきました。
自分で考えていないことが多かったことに気づいた
「使わずにはいられない」とさえ思っていたものから距離を取ったことで、いかに自分の頭で考えていなかったってことにも気がつきました。
わからないことがあればすぐにググる、といった行為です。検索はとても便利なのですが、自分の頭で考えるということを忘れさせ、調べた結果が自分にとって都合よければ根拠が軽薄でも安心するし、都合が悪い結果なら安心する情報に辿り着くまでネットの海を彷徨います。
もちろん、検索した結果を有効に活用できるのであれば、とても意義のあることです。そのためには検索をした結果、自分は何をしたのか?がとても大事。検索して終わりではなく、行動してこそ。調べてわかったつもりになることが一番危うい。調べればわかることは、自分の知識にはならないからです。どうせいつかまた同じこと調べていると思う。
流行には乗り遅れる
SNSをやめただけでなく、我が家にはテレビも置いていないので最新の流行やニュースも意識しないとつかめません。だけどそれでいいと思います。今のところ、流行や話題に乗り遅れて困るなあと感じることはないからです。
先ほど書いたことと矛盾するように思えるかもしれませんが、自分にとって必要な情報は、調べればわかります。周囲からの刺激がない中で、自分が知りたい何かを自分の頭で考えて検索すれば、必要な情報には辿り着けるし、その結果は必ず自分に活きてきます。
なんとなくスマホを使うのではなく、主体性を持って使うことに価値があるのだと思いました。
常に繋がっていなくても繋がろうと思えば繋がれる
人間関係も同じだと思います。SNSの醍醐味は、遠く離れた友人知人とも繋がっていられることかもしれませんが、繋がっているからといって何か生まれるわけではありません。繋がっている価値とは?
それよりも会いたいなって頭に浮かんだ人に会いに行く、連絡をしてみる、何か急に贈り物をしてみる方が楽しいし、嬉しいし、温かい繋がりだと思う。冷たく聞こえるかもしれないけど、ネット上の「友達」は本当に友達なのでしょうか?フォローしている人のことを、本当にフォローできますか?
ぼくは先日京都まで行って、高校時代の野球部の友人に会ってきました。繋がっているのは電話番号とLINEだけ。連絡したのも会うのも4年ぶり。お互いSNSやっていないので近況も様子も全く把握していませんが、会おうと思えば会えて、おいしいもの食べながらいろいろ話せたのはいい時間でした。そしてそんな彼から後日、贈り物が届きました。
→誰かの日常に入り込めるのは嬉しい|OUR HOME from REP
まとめ
いろんなテクノロジーが発展して、便利になって行くからこそ、そのテクノロジーの波に飲み込まれるのではなく、遠くから客観視して、乗るべき波に乗った方が賢い選択だと思う。
投稿したらいいねの数をチェックする、誰が反応してくれるかチェックする。この何気ない行為の繰り返しは、依存的で完全に飲み込まれていると思います。
SNSが悪いわけではないし、SNSをやっている人が悪いわけでも当然ない。主体性を持って使いこなせない自分には、やっぱり不要なものだったんだなと再確認。人に見せびらかすものを探す、その反応を伺う。そんなことする必要がないほど、目の前は楽しいことがいっぱいでした。おわり。
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