記事にするか大分悩みましたが、ぼくが見てきている事実は公開するべきだろうと思い、言葉にしています。だってそれが、守りたいものでもあるから。
「こんなことしました」「こんなことができました」って簡単に書けるけど、「こんなことができませんでした」ってことを公開する義務もあるのかなって。
カンボジアのシェムリアップ市内に住む女の子のお話です。
これまで名前を3度変えてきた人生
アンコールワットのある街、シェムリアップは観光都市でもあり、多くの外国人観光客が滞在しています。
街の中心部は毎日賑わいを見せ、中には「カンボジアのイメージとは全く異なっていた」という人も少なくありません。
そんなシェムリアップの郊外に、名も無い村があります。
その区画だけ妙に仕切られていて、隣の家同士が隙間なく建てられ、六畳一間ほどの家に家族で暮らしている集落。
トイレや水浴び場は、公衆の場に設置されており、みんなが交代で使っています。
通称スラム。
ここで暮らすある女の子は、家庭の経済事情で引越しを繰り返してここにたどり着きましたが、これまで名前を3度も変えています。
教科書とかメディアを通じて、これまで何となく知った気になっている世界のリアルが詰まっています。
10代の花嫁
「私結婚することになったの」
泣きながらそう聞かされた数日前から、心の中にはいろんな感情が溢れていました。
え?なんで?
相手はどんな人?
親はなんて言ってるの?
まだ幼さの残る10代の女の子。
こんなにも素直におめでとうが言えない結婚式ってあるだろうかって。
詳しく聞いてみると、それは幸せが詰まった結婚ではなく、売られてしまったという事実でした。
両親がおらず、一緒に暮らしていた祖母に経済力がなかったため、支払いが滞っていたものを支払う代わりに孫を結婚させる、という条件のもの。
怒りとか、悲しみとか、疑いとか、いろんなものが湧いて出てきて、心の中がぐちゃぐちゃになるってこういうことを言うんだなって感じがしました。
あなたには関係のないこと
「何で結婚させるの?」とおばあちゃんに問いかけたところで、答えは「あなたたちには関係のないこと」という言葉で一蹴されました。
確かにそうかもしれない。
家族のことだし、ぼくらはそもそも他人だし外国人だし。
「何で自分の孫をお金で手放した!!」って怒鳴ってやりたかったし、何ならグーパンチだって食らわしてやりたかった。
でも、本当の理由は、本人達にしかわからないし、聞かされていることって、真実かもしれないし、嘘かもしれない。
そんなの誰にもわからないけど、10代の女の子が望まない結婚が決まってしまったっていう事実だけは目の前に残っていた。
何で泣いてるの?
数日前に結婚の事実を聞かされてから、結婚式まではあっという間の日程でした。
どんな理由であれ、その子の幸せを願いたい、綺麗な姿を見届けたい、そう思って会いに行きました。
どんな顔していけばいいんだろうって何度も考えたし、正直出席すること自体が辛かった。
でも、この事実から目をそらしたら、ぼくらは一生後悔するし、そもそもぼくらなんかよりも、結婚することになってしまった彼女の方がよっぽど辛いだろうなって思ったら、逃げる選択はなかったんです。
綺麗な衣装に身を包んだ彼女のこと、ぼくはまっすぐ見ることができませんでした。
ニコってしながらもどこか切なそうで。
「せっかくだから綺麗な写真を撮ってほしい」と頼まれて持って行ったカメラ越しに彼女を覗いたら、ぼくに気付いてファインダー越しに目が合いました。
その時の表情見たら、何だか涙がこみ上げて来て、ぼくはシャッターを切ることができなかった。
そのまま「ごめん」って言って、その場を離れ一人で落ち着くまで座っていました。
「何で泣いているの?」って聞かれても「嬉しいからだよ」としか言えなかったんです。
不幸になると決めつけてしまうぼくらの思考に貧しさがある
10代の女の子が望まない結婚をする。
この事実からは逃れられることができなかった。
そしてその事実を覆すことができなくて、ぼくらは自分たちの力の無さを悔やんだ。
そんなことより、改めなくてはいけないことがあることに気づいた、
ぼくらは「その子が不幸になる」と勝手に決めつけていた。
この一瞬は辛いかもしれない。
この一日は辛いかもしれない。
この一年は辛いかもしれない。
でも、この日があってよかったって言える日だってくるかもしれない。
というより、そうしていかなきゃダメだと思った。
それなのに目の前の事実だけで流されて、人の未来を決めつけてしまった自分たちの浅はかさにこそ貧しさがあるのだなと感じさせられました。
お金を支払うってのは手段の一つで、それほど旦那さんは惚れ込んだのかもしれないし、とても大事にしてくれるかもしれない。
逆にすごい変なやつかもしれない。
旦那さん自身も望んだものではなくて、親同士が決めたことかもしれない。
どこで、誰の、どんな思いでこの結婚が動いているのか本当のことはわからないけれど、考えられることは真実ではなく「かもしれない」という推測。
この「かもしれない」という推測の決めつけがネガティブな未来だっただけで、ぼくらは素直におめでとうが言えなかった。
その推測が、ポジティブな事実に変わるように、2度と同じ思いをする子が出ないために、目の当たりにしたリアルに怯まず、今やるべきことをもっと集中しようと思いました。
まとめ(追記)
どれだけぼくらが事実を嘆いても、ここカンボジアだけでなく世界中の至る所で、目を逸らしたくなったり、耳を塞ぎたくなる事実は起きているし、それを受け止めるって簡単なことじゃないです。
だからこそ、気軽にいろんなことが言えなくもなりました。
何かしたいとか、誰かのためにとか、言うのは簡単で、うまくいっているような成果だけ見せるのはもっと簡単なこと。
カンボジアでこんなことしましたー!
カンボジアの企画にこれだけの人が来てくれましたー!
カンボジアでこんなことがやれましたー!
カンボジアで・・・・・・・
みたいなこと。
たま〜にカンボジアにやってきて、何かやってやった気になっている団体とかみたいに、簡単に書けないなって。
キレイな事してるとか、表向きはキレイな活動とか言われたりもしますが、ぼくらがしていることって本当に地味で理解されにくくて、ドロドロになりながら走り回っています。
子どもたちや村ってぼくらが思い通りにさせたい対象物じゃないから、いろんな事実を一緒に受け止めて、考えて、時にもめながら、葛藤しながら、それでも一緒に生きていきたいから、いろんな課題を一緒に超えていく。
そこにぼくらが何かを成し遂げた成果って、形として見えないものなのだと思います。
それがぼくらのリアルです。
カンボジアの結婚式の記事はこちらもあります。
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