せっかくフリーランスとして働いているので好きなことを仕事にしたいと思っています。好きなことなら「休みたい…」「仕事辛い…」と思うことがないからです。あとはそれなりの努力では達成できることもしれていると思うので、夢中になって取り組めることを仕事に選べば苦痛を感じながらやるよりも圧倒的に幸福を得られます。
生きる姿勢は姿ににじみ出る
一応9月末から10月くらいまではシェムリアップを中心に生活をする予定だけど、身体が1つしかないので必要があればどこへでも行くしかない。
ぼくらのチームが「雇用の創出」とか「国際支援」とか、それっぽい言葉を使わないのは何だか型に囚われず自分の思った通りにやりたいからっていうのも理由の一つでもある。
でも守るって決めたことは何があってもやり通したい訳で、もう少し理想の形に近付くまでは、身削ってでも自分たちの力でやるしかない。
それがやり始めのフリーランスの宿命でもあるのかなって思う。
仕事上いろんな人の記事とか読んだりするけど、ぼくよりはるかに若いフリーランスたちが「お金の不安はない」みたいなこと書いてると「すげーな」って素直に思ったりもする。
じゃ、自分がそうなったらどうしたいか?を想定してみた。
もしもお金の不安がなくなったなら
もしお金の不安がなくなったら、何でもかんでもお金で解決してしまいそうだと思った。ぼくの場合。
クリエイティブでもなんでもない仕事になるんじゃないかって思ったら、お金の不安がある今よりも不安になった。
大切なものを守るためには、お金があった方がいいのは間違いのないこと。
でもお金よりも大切にしなきゃいけないのは時間であって、どんな富豪も大統領も、時間だけは操作することができない。
限られたお金の中で、今よりもっとみんながよくなるにはどうしたらいいか?
そこに本当の豊かさがあって、働く楽しみもあったりするのかもしれない。
時間を効率的に使うために「自動化」とか、いろんな方法論が謳われているけれど、世の中に溢れているノウハウってのは、必ずしも自分にフィットするわけではなくて、自分にあったものってのはきっとやりながら勝手に身についていくのだと思ったりする。
小手先だけでは通用しないし、長続きもしないのだと思っている。
お金のない奴の負け惜しみ
って言われるかもしれないけど、今はいろんなことに不安抱えながらもいろんなことが小さくでも形になっていくのを見届けているのが楽しい。
遊ぶことも好きなことをやることも、全部自分の責任の中でやっている。
ぼくが仕事でヘマこいても、迷惑をかける上司もいないし会社もいない。
だけど、ぼくの生活を守ってくれる人たちもいない中での生活。
だからやった分だけ、自分の経験値としてなんでも語れることが、たまに自慢だったりもする。
日々の楽しみを見つける工夫
ちょっと話が変わりますが、
「旅ブログ書きたいけど、旅に出るお金貯めなきゃいけなくてバイトばかりしているとブログ書くことありません。」
とか言われると悲しくなる。
お金使わなきゃ書きたいコンテンツがないほど、人生つまらないものなのかって。
旅に出なきゃ書けないブログなら、そもそも旅に出たって書くことない。
日常に何にも感じられないのなら、非日常を味わったとしたって書けるのは最初だけ。
だって、その非日常すらいつかは日常になるのだから。
そう考えると、フリーランスで仕事をするとか海外で働くとかってことも憧れみたいなのあるかも知らないけど、それすらも最初だけ感じるまやかしのようなもので実際はしんどいこと、地味なことの方が多かったりする。
その事実に耐えられるほどの、働く意義と楽しみを見いだせているのなら、きっとぼくはうまくいくと信じている。
思いがきちんと形になるまでは
話を戻して。
形になるまでは、やっぱりぼくは動き続けるしかない。
貧乏暇なしとは、まさにぼくのような人のこと。
頑張って稼いだつもりのお金は、大切なものへあっという間に消えていく。
それは、何の問題もない。
ただ、稼げなくなったら、今まで守ってきた大切なものすら守れなくなる。
そんなの嫌だ。
そして、大切なものを守り続けながら、広げていきたいことがある。返したい(というか返さなくてはいけない)恩もある。
そのために、今は楽するわけにも、倒れるわけにもいかない。
目の前の1ドルの商品を2ドルにもできないのに、大きなことばかり考えていたって何もできやしない。
コメントを残す