タイトル通りですが、そういうことです。「はて。この人生で自分が本当に手に入れたい物はなんだっけ?」と思ったからです。本気になれば何でもやれる。だけど人生には限りがあるから全部はできません。やりたいことをやろう。
これまでの買い物の基準
「生活が便利で人生が快適になるなら買い」がこれまでの基準でした。悪くはないけど、なんか浅い。頭悪そう。その場のノリだけで生きてそう。そして生活が便利で人生が快適になったら本当に幸せなのか?という疑問が生まれました。違いました。
これからの買い物の基準
ということでこれからは「生活が便利で人生が快適になったことで、夢の実現に近づくなら買い」の精神でお金を使っていこうと思います。
もう少し言語化すると
- ないと死ぬ物(例:食糧、水、雨風凌げる家)
- それがあると何がどう変わるのか説明できる物(例:必要最低限の衣類→公然わいせつ罪で捕まらない)
- それでないとダメだと言い切れる物(例:パソコン→時間や場所にとらわれず働く目標のために必須)
を買うぞ。
健康で生きていないと夢は叶えられない。外的要因による障壁が多すぎると夢を叶えるのに時間がかかる。夢を叶える手段に必要なものがわかっていれば早い。
結果として夢の実現に近づくと判断すれば買うし、近づかないのなら再考です。
それでも買った方がいい場合のものもある
とはいえ全てのものを仕分けできるとも限らないし、曖昧なこともあるので買い物の基準を再考する上で忘れてはいけないのが「needとwantの区別」です。
「それは本当に必要か?欲しいだけではないのか?」を突き詰めていくと、本当に必要なものは限られてくる。その区別をするだけで、必要ではないけど欲しかっただけのものを買わなくなり、浮いたお金でまた夢の実現に近づく行動ができます。人生はなんてシンプル。
誤解のないように言っておくと「欲しいものは買ってはいけない」「必要なものだけ買え」「ミニマリストになろうぜ」という意味ではありません。ちゃんと識別できていればOK。なんとなくの買い物が一番無駄が出やすいということです。
夢の実現のための挑戦は大きな犠牲を生みます。冒頭で書いた通り、全ては追いかけられないからです。しかし挑戦には価値があり、物を買うよりも大切なことだとわかればそれは犠牲ではなくなります。いい人生につながる選択をしていきたい。そのためにはまず、買うものも意識して選択していきたい。
買い物の基準を見直して叶えたい夢
言いたかったことは大体言い終わってしまったので、どうせならぼくの夢の話も聞いてくれませんか?
叶えたい夢は世界中の子ども達の教育の後押し
カンボジアでの活動を始める時に胸に秘めていた「全ての子ども達に教育を」という気持ちをいつの間にか忘れていました。
いや、忘れていたというより
- 学校一つ建てたくらいでなんなの?
- 日本にだって大変な子達がいるんじゃないの?
- 自分の夢のために近くの人を大切にできていないんじゃないの?
- 世界ってどこまでだよ広すぎて抽象度高くて無理だよ
- 全部やれるの?
- ちょっとやれたからって全部やれないと他を見捨ててることになるよ
- 別にあなたがやらなくたって大丈夫だよ
- 本当にそれって必要なの?
みたいな言葉を浴びすぎて、心の奥底にしまっていた感じです。
そのために作ってきた生き方が「ノマド」
カンボジアに小学校を建てる時もそうでしたが、実際に自分が現場へ行くためにはそのための自分の在り方の準備が必要でした。建設に必要なお金だけ集まっても、自分が仕事を休めない状態だったら本当にやりたいことはやれなくなってしまうからです。
だからノマドという当時はまだ意味不明で怪しい生き方を選んだのです。場所にとらわれない働き方をするためです。ぼくはいつだって現場にいたい。
そこに物は必要か?
本当にやりたいことをやるための自分の在り方を考え直したところ
- 場所にとらわれない働き方
- 支援だけに頼らない活動
- 少ない荷物で小さく暮らしつつ
- フットワーク軽く広範囲に移動できる生活
がぼくにとっての理想でした。
そのために必要な物以外は、全て足枷になる。だから今回、買い物の基準を見直したわけでもあります。
物質主義では豊かになれないことも伝えたい教育内容の一つ
おまけっぽく聞こえますが、最新の機器、ハイブランドアイテム、世間に合わせて簡単に移り変わる変わる流行りを追いかけても、あまり豊かになれないよってことも伝えたいことの一つです。
欲しかったものを手に入れるエネルギーは何か?
とんねるずの番組でバナナマン日村がポルシェを買った時に「好きな仕事を頑張って好きな車に乗るのカッコよすぎ」と思いました。そうやって自分のロマンを追いかけて実現できるのは素晴らしい。だからこそ自分が手に入れたかったロマンを手に入れたら、簡単に手放さないで大切にしていこうぜって思うのです。ハイブランドや高級品を買うことが良くないのではなく、どんなものを持っても自分の価値は変わらないからです。自分の夢のために買ったものは心に残りますが、自分が他者からどう見られるか?を気にして買ったものはすぐ冷めます。注目されても一瞬だからです。そんなの虚しい。
自分もそうだったからこそ
ただ教育全般そうですが、成果を感じ取るには時間がかかります。年齢がいくほど変わることは難しくなるからです。特にそういった物質的なものに興味が向き始めるティーンエイジャーへの教育は忍耐が必要です。伝える側の首尾一貫したメッセージと説得力ある行動が必要。教師時代のぼくに大きく欠落していた部分です。
そして自分も20代前半は物質主義でした。そんな自分が変わるのに何年かかったか?を考えれば、教育に即効性を持たせようとすることが愚かです。
だからまずは自分がその生き方を体現します。今すぐにわかってもらえなくても、自分が粘り強く伝えて実践していればいい。教育とはそういうものだと思うのです。
- 人に求めることはまず自分が変わる
- 他人を変えようとするのではなく、関わり方を変える
- 物質的な豊かさよりも豊かな人間性のほうが価値があると思える生き方をする
現場を離れても伝えられることはあると信じています。
まとめ
ということで後半は話が大きく逸れましたが、本当に手に入れたいもののために使わなくてもいいお金、時間、労力を見直しいていきましょう。そのために買い物の基準を考えることも、実は夢の実現に一歩近づくのですよというお話でした。
ぼくはもともとそんなに物が多い方ではありませんが、以下の本を読んで余計に多く入らないと感じたし、本当にやりたいことを見つけられたと思います。あなたが本当に欲しいものはなんですか?
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