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終わりは始まり。旅には終着点なんかなくて次の始まりの場所へ行くだけ

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ぼくは旅人というよりも海外(カンボジアとかタイ)によく行くだけの人ですが。

カンボジアで拠点を置いているゲストハウスは日本人経営なので世界一周やアジア周遊、中には期限も次の目的地も決めていないアナーキーな人まで、いろんな日本人旅人をよく見かけて来ました。

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出会いがあれば別れがあるように、旅にも始まりがあれば終わりがあるようです。(多くの人は)

ですが、旅には終着点というものは本当はなくて、これまでの生活スタイルがガラッと変わったとしても、次のライフステージが待っているのだとぼくは感じます。

終わっちゃうって響きが寂しく聞こえるだけなのかもしれませんが。

この世の中の物事のほとんどに終わりはなくて、どこまでも続いていくことばかりだと信じたい。

旅を終えた旅人だけでなく、何かを成し遂げて燃え尽き症候群のような人たち、何をしていいかわからない人たちに読んでもらえたらと思います。

これまで出会った旅人の話

ここにいた方が楽しそうなんで、俺世界一周やめまーすって言った人

ぼくの小学校建設を手伝ってくれたしゅういちも、もともとは世界一周が目的で、その過程で訪れたカンボジアでぼくと出会い、目的は世界一周から、学校建設へと移行しました。

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(画像鬱陶しいな・・・)

しゅういちの長年の夢でもあった世界一周は、ぼくと出会ってしまったがために計画が丸崩れになり、出会った当初は「本当にいいの?やりたいことやりなよ?」って何度も彼には確認をしました。

「いや、本当にこっちにいた方が楽しそうなんで、楽しそうな方にいます」

とあっけらかんと話していたしゅういちは、結局カンボジアで移動用のバイクまで買い、およそ3ヶ月ぼくと毎日学校建設現場へ足を運んでくれました。

彼の場合は、旅に期限もあったので、学校建設の場にいれるだけいた後、どうしても行きたかった中南米へ旅立ちそのまま帰国。

カンボジアからバンコクを経由してロンドンへ。

そしてロンドンからアメリカ大陸へ。

「飛んだ場所を線に結んだら、世界一周してるね」って今でも笑いながら話をしています。

▼しゅういちが建設に関わった最後の日の記事はこちら

関連記事:【みらいスクール】カンボジア小学校建設日記75日目

結局ユーラシア大陸から出られずに行きたい場所を行ったり来たりしていた人

ちなみに、しゅういちを通じて出逢えたまなみは、ちょうどこの記事を書いている今日の便で日本に帰って来るそうですが、彼女は1年7ヶ月も一人で旅をしていたのに、ユーラシア大陸から出ることはなかったそうです。

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「人生の夏休み」と謳っていた彼女の世界一周。

私の人生最大の大冒険は当てはまる言葉なんかなんもみつからんぐらい素晴らしい経験と出会いで溢れていました。
1年7ヶ月もふらふらしてたのに、
ユーラシア大陸から出れず、行きたいとこをいったりきたり……
結局世界一周(別名:旦那探しの旅)は失敗に終わりましたが、これでよかったと思っています。
心の底からめちゃくちゃ楽しかった!って叫べるから。(本人談)

思っていた旅と違っても、感じ方は本当に人様々なのだということを教えてくれています。

旅の魅力とは?

世界一周することがそんなに珍しいことではなくなった現代ですが、やっぱり魅力的なこともあります。

仕事も収入も家も手放し、日本から飛び出して行った旅人が、旅先で見た景色ってどんななんでしょう。

夢にまで見た景色を目の前にした時、屋台のパッタイがヒットして常連になった時、現地の人の優しさに癒された時。

一方で、大切なものを盗まれたり、ぼったくられそうになったり、人を信じられなくなったり、ビビりながら路上を歩いたり、ガンジスの洗礼を浴びて立ち上がれなくなったり。(やっぱぼくは話題がアジアから抜け出せないな〜)

きっと誰もが一冊の本にできるくらいの、いろんな景色を見て、感情がぐちゃぐちゃになって、胃の中もぐちゃぐちゃになる日があって、たまには起きたら記憶がないことがあったり、そしてたくさんの出逢いがあるのだと思います。

一人で出かけることの自由と不安、旅先で出会った人と意気投合して弾む会話と集団の中での葛藤。

ひとり旅って言っても、きっとそこには同じように一人で来ている人たちとの出会いがあって。

時に多人数でいることに疲れたはずなのに、また別れがあるとぽつんと一人になって孤独を感じたり。

想像しただけで、ぼくも世界一周した気分になれそうです。

どこへ行くかも大事。だけど誰と何をするかがもっと大事

旅の目的なんて自由だし、何を主体に考えるかは旅人ごと違います。

でもきっと、どこへ行って、何を観ても、人の存在って切り離せないのだと思います。

このタイミングで、この場所で、出逢ったから大切な思い出の一つになる。

大好きな遺跡はまたいつでも観に行くことができても、大好きな人たちと大好きな場所で過ごしていた当たり前の再現は、簡単なことではないのかなと。

ぼくの開校式が特別に思えたのもきっとそう。大切な場所に大切な人たちがいたから。

そして長ければ長いほど、そうやって思える大切な人たちとの大切な場所が増えて行く可能性もあるんだろうと思います。

旅人からの学びで考えるぼくのライフスタイル

ぐるっと丸々世界一周したとか、何カ国行ったとか、ぼくにはやっぱり興味のないことで、行きたい場所へ行きたい人と行く。

もしくは会いたい人に会いに行く。

これがぼくの望むライフスタイルなのだと思いました。

その為に今のワークスタイルがあるのだということも。

そして同時に、日本で帰りを待ってくれている人がいるから、帰る場所があるから僕らは旅に出ることができるのだと思うのです。

旅に疲れても帰る場所がない。

旅先でピンチになった時、頼る人がいない。

そんな状態でも本当に心から「旅は楽しい」と笑えるでしょうか?

ぼくは無理です。多分。

ってなるとやっぱり人なんだなと。

「帰りたくない」はきっと人に恵まれた証なのだということです。

関連記事:旅に出ると決めたなら一番最初に考えなくてはいけないこと

まとめ

「人生は旅のようだ」とよくいうけれど、ぼくは「旅こそ人生」だと思います。

「帰国」という区切りと言われるものがあっても、それは決して完全な終わりではない。

そこに達成感や充実感が溢れていたとしても、寂しさや未練や後悔が残っても、また次のスタートが待っている。

それがまた海外に行くことや国内を放浪することではないとしても、旅の中で見た世界がきっとまた次の一歩に繋がるのだと思うのです。

日常の中にいると忘れがちなことが、実は旅に出ると改めて気付かされることがある。

もちろん、此の期に及んで「旅最高〜」なんて薄っぺらいことが言いたいんじゃなくて、結局旅に出ると自分で動いて、選んで、決めて、そして責任まで全部のしかかって来ます。

でもそれが本来日常生活においても大切にしなくてはいけないことなんです。

だから旅こそ人生なのだと。

居心地のいい場所にいると選ぶことも、決めることも、動くことも鈍って来て、そして変わることを恐れ始めたりする。

でも人生豊かにしようと思ったら動くしかないんです。

自分の中の何かを少しずつ変えていかなくては今のままなんです。

実際に旅にでようがでまいが、そんなことはどうでもよくて、動くってことをやめたらだめなんだってことが言いたいんです。

旅の終わりは次の始まりの場所。

出逢ったみんなが今どこで何をしているのか。

すごく気になる今日この頃です。

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