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めまぐるしく発展を遂げる世界で日本人はもはやお金持ちではなくなっている

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活動のメインがカンボジアになってから5年目、北川勇介(@yusukeworld_)です。

最近切に感じることは、いつまでここカンボジアを中心として自分の人生は進んでいくのか?ということです。

カンボジアという国が、ロンデン村という地域が、ぼくの中で大きな存在になり始めた頃から同時に、定職から離れ自分の食い扶持は自分で作り出すという生活になりました。

別に海外で企業とかフリーランスとか全くもってすごいことでもなくて、そんな人そこら中にたくさんいます。

ただ、海外で仕事をする以上、自分が食えていればいいかっていうとそうでもない気もしてならないのです。

カンボジアに残り続ける理由は別記事でまとめているので、そちらをご参照いただければと思いますが、今日は別視点でカンボジアにいる意味について考えてみたいと思います。

お金を稼ぐこと、使うことへの抵抗

「お金」というものへ何となく抵抗をもつ人が多い我々日本人。

以前はぼくも「別に金持ちになりたいわけじゃないし!」って言っていた時期がありました。

ですが、やりたいことが増えていくほどに、そこには少なからずお金が必要で、何かを成し遂げていくと不思議なもので次にやろうとすることはいろんな意味で大きくなっていきます。

それが人間の欲の性なのかもしれませんが、ぼくは何かを成し遂げた人にしか見えない景色があると信じているので、次に見えた景色が大きくなっていることは誇りとして受け止めています。

そして、それに対してひるむことなく、これからも挑戦を続けたいと考えています。

必要なことには出し惜しみすることなく使えるだけ準備をしておきたいんです。

お金持ちになりたくないのではなくお金の稼ぎ方を知らなかった言い訳だった

英語が話せない頃は「英語なんて話せなくたって生きていける」と言っていたのに、英語が話せるようになると「今の時代英語が話せないなんてあり得ない」と言い出して。

同様に、お金がない頃は「お金がなくても幸せに生きている」と言っていたのに、お金を得るようになると「お金がなくてはやりたいことがやれない」と言い出すようになる。

この世の中には「できないよりできた方がいいこと」「ないよりはあったほうがいいもの」がほとんどで、結局のところ目標をどこかに置くかは人それぞれだとしても、自分のためには持っていた方がいいものがたくさんあるのです。

ない時は持っていない自分を守るかのように「それでも俺は幸せ!」って言い張っていたのに、あったらあったでもっと必要なことは次から次へ出てくるようになる。

もともとぼくは人間甘いから、そんな程度の人間なのかもしれませんが。

先進国と呼ばれる国で生活してきたのに途上国と呼ばれる国でお金を出し惜しみしたくない

稼ぎ方を知らないから、物価が安いと言われる国で生活していれば、安月給だとしてもソレナリの生活はできます。

むしろ「ソレナリの生活」ならできてしまうことが、アリ地獄のような罠でもあることに気付かない時期もあったのかもしれません。

日本とカンボジアで生活していると、金銭感覚に対して戸惑いが生まれることがあります。

果たして、経済的に豊かなのはどちらなのだろうと考えるのです。

とにかく安い方法で済ませようとしたり。

たかが数ドルの差でぼったくりと言い出したり。

本当は食べたいものを我慢していたり。

お金を出すべきとこ、出す必要がないことの見極めだけは失いたくないと考えています。

カンボジア人の方が稼いでいるんじゃないか疑惑

日本人の月収を超えるカンボジア人はたくさんいる

自分たちなりのビジネスアイディアで、日本人のホワイトカラーの年収を超えてくるカンボジア人は大勢います。

ぼくなんて未だバイクに乗りながらゲストハウスの一室で過ごしていますが、最近は高級車を乗り回して、大きな家を建て、家族揃って少しお高めの飲食店で食事をするカンボジア人達が、以前にも増して多くなったような気がします。

そういう人たちからいろんな発想やアイディアをもらうこともあるし、やっぱり何かを成し遂げようとしている人たちとの会話はおもしろい。

ネガティブや愚痴や噂話に付き合って飲む酒の、何万倍も美味しいです。

物価が安いと言われる国で、物価が高いと言われる国でもらっていた以上の給料を稼ぐ出すには「一生懸命やってます」だけじゃなんともならないんです。

日本人はカンボジアで月いくら稼いがなくてはいけないか?

これは知人から聞いた話なのですが、カンボジアではぼくら外国人男性が現地の女性と結婚をするには月収2500ドル以上の収入が必要だそうです。(ややこしいので事実婚とかそういうのは抜きにして)

ハーフとして生まれてくる子どもをインターナショナルスクールに通わせて20歳まで育てる。

それも日本のように医療補償がない分、保険が適用されないからこそ実費でもろもろまかなっていくとなると、子どもが20歳になる頃までには少なく見積もっても子ども一人当たり1000万円がないと養うことができないと言われています。

それを均等割りで240ヶ月で割ったら、月500ドル以上の貯蓄が必要だということ。

もちろん、自分たちの生活費はのぞいて。

この月2500ドルの収入計算は、あながち間違いでもないなって思わされました。

別にカンボジア人と結婚するわけじゃないし〜って話ではなくて、シビアな話、これくらい稼いでいないと将来的に生活が成り立たないという計算です。物価が安いと言われているこの国ですらも。

日本にいる以上の仕事をして日本にいてはできないことをやる

海外で生活をする意味は人それぞれかもしれません。

そもそも理由や目的なんて、自分が良ければ何だっていいのだから。

でも、日本と同等、もしくはそれ以下の暮らしをしながら、現地に残って何かする意味はないかなってぼくは個人的には考えています。

もしかしたら、それができなくなった時が自分の引き際なのかもとも。

どこにいても自分が満足いく仕事とそれに見合った報酬を受け取ることができて、その上で滞在させてもらっているその国にとってプラスアルファを作っていく。

日本にいたらできないことだけやるのではなくて、それをやるための基準はあくまで自分の中で持っておく。

それが社会貢献でなくてもいのだと思います。意義があれば。

成り立ちもしない生活の中で「好きだからいたい」ってのは、もうそんなこと言ってる場合じゃないのかなと。

日本にいる時以上の仕事をする、日本にいたらできないことを現地でする。

それがぼくが考えている海外で生活している理由です。

海外で仕事を始めるのは本当に簡単です。

大変なのは、日本より物価の安い国で日本以上に稼ぎを出すこと。

そして、日本にいいたらできないことをすること。

ここに尽きると思います。

せっかくリスク背負って自分で仕事している上に、海外まで来ているんだから「海外生活大変だよ〜」じゃなくて「おかげさまで儲かって好きなことやれています」って胸張って言いたいもんです。

楽しく生きる大人の1人として。

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