年末の雰囲気大好き。浮かれ気味の北川勇介です。
ところでみなさん、新年は初詣に行きますか?
ぼくは無宗教な上に、神社へのお参りも滅多にしないし、お守りとかも持っていません。手放す時怖いし。
ただ年に二回は割と行くようにしていて、それが年明けの初詣と年末のお礼参りです。
年が明けると「初詣に行こう」って声は聞かれますが、年末に「お礼参りに行こう」って声は聞かれないので書いてみようと思った次第です。
対人でも、対神様でも、言いっ放し、やりっぱなしはダメだと思うのです。
そもそも初詣とは?
元々は「年籠り」(としこもり、としごもり)と言い、家長が祈願のために大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神の社に籠る習慣であった。やがて年籠りは、大晦日の夜の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」との2つに分かれ、元日詣が今日の初詣の原形となった。
江戸時代末期までの元日の社寺参拝としては、氏神に参詣したり、居住地から見て恵方にあたる社寺に参詣(恵方詣り)したりといったことが行われた[1]。
「年籠り」形式を踏まず、単に寺社に「元日詣」を行うだけの初詣が習慣化したのはそれほど古い時代ではなく、明治中期のこととされている。また、氏神や恵方とは関係なく、有名な寺社に参詣することが一般的になった。俳句で「初詣」が季語として歳時記に採用されたのは明治末期であり、実際に「初詣」を詠んだ俳句が登場するのは大正時代以降であるという[2]。
引用元:ウィキペディア
結構昔からあるのかと思いきや、意外と「初詣」自体の歴史は長くないんですね。
勝手に平安時代くらいとかからあるのかと思っていました。
みなさんは毎年初詣行きますか?
初詣行ったらやっぱり「神頼み」して「出店でお好み焼き」ですよね。
- 第一志望の大学に合格しますように
- 希望の会社から内定がもらえますように
- 今年中に結婚できますように
- 商売繁盛しますように
- 家族そろって健康に過ごせますように
いろんなお願いがあると思います。それが叶ったかどうかなんて、ここではどうでもいいんです。
神様にお願いをするだけして、その結果をきちんと神様に報告していますか?
ってことがこの記事の言いたいこと。それがお礼参り。
お礼参りとは?
お礼参り(おれいまいり)とは、神社仏閣に願を掛け、その願いが成就した時に、お礼として礼拝や布施[要出典]を行なうこと。
引用元:ウィキペディア
「願いが成就した時に」と書いていますが、「うまくいった時」本当にそれだけでいいんでしょうか?
これって、神仏周辺のことだけでなく、日常の中でも忘れられがちな大切なことだと思います。
「〇〇したいです」と言っておきながら、それが叶ったのかどうかも知らされないなんて。
そんなの寂しすぎません?
ちょっとだけ日常に置き換えてほしい
大切な友達が『今から彼女にプロポーズしてくる!』と知らされて、待てど待てどその後の報告がなかったらどう思いますか?
不安ですよね。心配ですよね。
教員時代もよくありました。
「あ〜今週、この生徒は就職試験だな〜」って把握していても何もいってこないから受かったのか、落ちたのか。
「全然言ってこない〜!早く教えてくれ〜!」みたいなこと。
顔を出す意味
結果がどうこうではなない! 顔を出す! 挨拶をすること! それが一番大事!!!だとぼくは思うんですね。
思い通りになったからいい。思い通り行かなかったからダメ。
人生そんなもんじゃないだろと。
それよりも、ちゃんとお世話になった人の元へ顔を出す。
心配してくれたり、応援してくれている人の元へ挨拶に行く。
合格とか内定とか結婚とか、ハッピーな報告だけがお土産ではなく、節目ごとに顔を出すこと近況をきちっと伝えることが何よりのお土産だと思うし、そうやって繋がり広がってきた人間関係が最近は「いいね」やスタンプや片付いてしまうから。
足を運ぶってことを忘れがちな気もするんですね。
(全然帰国しないぼくが言うのもアレですが)
これが一番だと思うのです。
あとは呼ばれたらすぐ行くってことも。
まとめ
神様に今年1年間の祈願をしたのであれば、今年どんな年だったのか、何ができて何ができなかったのか、きちんと顔を出すことが礼節ではないでしょうか。
足を運ぶ。
言い方アレですが、足を運ぶってチャンスを掴む一歩だと思います。
呼ばれたらなるべくすぐ行く。
行った先に、絶対面白いことあるから。ヒントがあるから。チャンスがあるから。
そしてお世話になった人の元へは、自分から顔を出す。
こういうこと忘れずに生きていきたいなと考えています。
現代の世の中でいうと「古いな〜」とか言われるかもしれませんが、自分が大事にしていることは大事にしたいなと思います。
初詣で神様にお願いしたこと、今年のうちに報告しに行ってみてはいかがですか?
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