意識高い系のタイトルでこんにちは。世の中には二種類の人間がいます。
- インドに行って人生が変わりましたっていう人
- インドに行ったって人生変わらないよねっていう人
あなたはどちらですか?ぼくはインドに行って人生が変わったタイプの人間です。
「人はいつ死ぬかわからない」
そんな当たり前のことを、これでもかってくらい味わせてくれたのはインドだったからです。
インドに行ったら人生変わった
話すと長くなるんですけど、インドに行く前にカンボジアに行きました。これまた意識高い系の話をすると、カンボジアでは学校に通えない子ども達がたくさんいるって聞いてなんかずっとそれが心の何処かに引っかかっていたんですね。で、意識高くこう思いました。「なんとか教育を受けられる子ども達を増やせないだろうか」と。
そんな高い意識を持ったままインドに行ってみたら人が死ぬ、もしくは死んだ人、死んでいく人を見る機会が増えて「ああ自分もいつこうなるかわからんな。好きなこと、思ったことをやろう」って決めました。
本当はインドから帰ったら再就職しようとか思ってたんですけど「再就職?社会の常識に囚われすぎじゃね?」「やりたいことやってこそ人生じゃね?」と意識が高かったトチ狂っていたので、気になっていたカンボジアにもう一度行って、気付いたら小学校のない村に小学校を建てる約束をしていました。お金も仕事もないのに意識が高いですね。人生が変わりましたね。
インドが変えてくれたわけではなく、インドで感じた何かが自分を変えた
ですが、自分でわかっています。「インド」がぼくの人生を変えてくれたのではなく、人生観が変わった場所がたまたまぼくにとっては「インドだった」ということも。インド行ったくらいで人生観変わるんだったらメメント・モリ読んだ時点で変わります。まあメメント・モリを読んだからインドに行こうと思ったので、そうなるとメメント・モリ読むだけで人生が変わってしまうんですが、話が脱線しまくるのでここでのコメントは控えます。
当時のぼくは多分「生涯高校野球の指導者でありたい自分」と「いろんな世界を見て自分を試したい自分」が混在していて、どっちにも魅力を感じていたんだと思います。でも、どっちが現実的で周囲から何も言われずにいるかを考えたら誰がどう考えても、学校教員の道だろっていうと思います。
今もし学校教員やっていて仕事自体に不満はなくても、心の中にあった「違う世界を見てみたい」「野球とは違う何かにチャレンジしてみたい」という思いがずっと残ったままだったかもしれませんね。多分ですけど。
まとめ
- 学校教員を辞めてカンボジアへ行く時
- インドから帰って再就職するのを辞めた時
- カンボジアに小学校を建てるって言い出した時
多くの人が「やめとけ」って言いました。多分それはそれで正常な判断。そこで「やっぱそうかな」って思うのも自分だし「自分で決めた道をいく」って思うのも自分。どっちも自分の思った通りの判断。
インドに行って「好きなことやるぞ」って思って帰国しても日本に帰って周囲から「やめとけ」って言われてやめたら日本に帰っても人生変わります。要するに、周囲からの刺激で自分はどう感じて何をするかってことだと思うんです。そしてどっちを選んでも自分で正解に変えていく行動を積み上げるのみです。
ということで人生を変えたい人は今すぐインド行きのチケットを買って、ガンジス川でバタフライをしに行きましょう。ぼくは体育の先生らしく現地でバタフライを教えてきました。
コメントを残す