海外に来てまでストレスフルでは働きたくない北川勇介です。
まぁ日本で働いてた教員という仕事に、ストレスを感じていたかっていうとそうでもないですが。
ぼくはよく「せっかくカンボジアまで来て自分でリスク背負って仕事してんだから・・・」
って文言を使います。
この言葉の根底は「海外で働いている俺!どうだ、すげーだろ!」ではなく「海外で働くってめっちゃ大変だからね!」でもなく。
「日本にいる時と同等かそれ以下の暮らしをしても意味ないし、日本にいたらできないことたくさんやりたいよね〜!」です。
日本でやれないことは海外でもやれない
海外で生活をしているとよく聞かれる質問の一つ。
「何で海外で働こうと思ったんですか〜?」っていうやつ。
「日本社会に不適合なんで逃げるように出て来ました〜」
っていう人たまにいますが、その感覚ぼくにはよくわかりません。
社会に馴染めないってことは、結局どこの集団にいても馴染めないと思うんです。
少なくとも、国の違いで変わると思うなら、何で日本社会で馴染めないのに海外来てまで日本人とつるむのか。
それなら現地の人たちのコミュニティで生きればいいのに。
できない理由は国や地域の特性のせいじゃない。自分がやらないだけ
できない理由を自分が住んでいる国や地域のせいにすることも、何だか違うと思うわけです。
だったら帰ればいいし、日本でならできるっていうなら日本でやればいい。
少なくともぼくは、誰かに頼まれて海外にいるわけではなくて、自分の意思でいるわけだからうまくいかない理由を人や環境のせいにしている時点で、言動が破綻していると感じます。
できないことはできるようになるまでやればいいし、同じ方法でうまくいかないのならいつまでもそこに固執せずうまくいくように知恵を絞ってアイディアをひねれ出せばいい。
できない理由は国のせいじゃなくて、やらない自分のせいだから。
人との関わりの中で
ぼくは思ったことが口にすぐ出てしまうので、自分が違うなって思ったら違うって言ってしまうんです。
今回のブログも思ったこと書いているだけで、愚痴でも批判でもひがみでもなんでもない。
もちろんネット上だから好き勝手言うのではなくて、ぼくは人に対してもハッキリ言います。
これって自然なことかと思っていたけど、大人になっていくにつれて言えない人も多いようです。
だからでしょうか?
違うことは違うとか、俺はそう思わないとか言っていると、悪口だと思われることがあります。
そして、違うと言った対象を、嫌っていると思われたりもします。
でもそれでいいやって。
言いたいこと、感じたことをそのまんま伝えて、考え方や価値感の違いが露わになった時、それで好き嫌いとか悪口とかってなるなら、それ以上のコミュニケーションも生まれにくいから。
追記:やめました
やめました。
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