高校教師の職を離れてからも、なんだかんだで学生たちと触れ合う機会は多いので、いろんな質問をもらったりします。
最近は、母校の野球部のためにできることをやろうとOB会の活動にも力を入れたり、大会前はなるべく学校のグラウンドに行ってノックを打つようにもしているので、高校生のリアルな悩みが耳に入ってくるんですね。
この間、一人の高校生から個別に質問をもらいました。
日体大行きたいんですけど、どうしたらいいですか?
今回はこの質問を元に、ぼくが考える「希望の進路の実現方法」について書いています。悩める学生に届いたらいいな。
希望する進路を実現する方法
もう一度、先ほどの質問を引用します。
日体大行きたいんですけど、どうしたらいいですか?
おお〜!後輩(になるかもしれないキミ)よ!ぼくは危うく「東急田園都市線に乗って青葉台駅か桜新町駅で降りたらいけるよ」って答えてしまうところでした。
いや、わかりますよ。決して意地悪したい訳ではなくて。
「勉強しろ」ってのもアドバイスにすらならないしな〜。
言わんとしていることは何となくわかるけど、ぼくも正直困ってしまったんです。
ぼくが答えた、希望の進路の実現方法はこちら。
- 一生懸命勉強をして一般受験で合格を勝ち取る
- 何かのジャンルで飛び抜けて推薦で行く
当たり前ですが、多分この二択。
1の方法は、設けられている試験を突破できる学力を高める方法で、わかりやすく言えば受験ですよね。
2の方法は、野球部なら「レギュラーをとって甲子園ベスト8メンバーになる」とか、自分が得意な分野で実績を出して「必要な人材」としてPRする方法。
どちらが簡単だと思うかは受験者の自由なので、自分はどっちで勝負するべきかを考えて行動したらOKです。
希望の進路を実現するためには不向きな考え方
続けてこんな質問まで飛んできた。
どんくらい頭あれば足りますか?
もうこれは答えは簡単で、一個の頭をフルに活用しよう ですよね。いや、わかる。言わんとしてることはわかるんだよ。偏差値的なことだろうとは。
じゃ仮に、その大学へ入るための偏差値が60だとしよう。仮にね。それを知ったら、どうする?
たかっ!俺には無理だって言いません?やる前に諦めるのか?
もし、そう言いそうになったら、さっきのセリフの「俺には」の前にこう付け加えてほしい。
たかっ!今のままの俺には無理だ
要は、今の自分が明日受験を受けたら無理かもしれないけど、半年後、1年後の自分がレベルアップして入れば言い訳なので、「今の実力で届かない→受験するのやめよ」というマインドはぜひ早い段階で捨ててほしい。
そして、未来の自分に期待できる取り組みを、今すぐにはじめてほしい。
カンボジアの活動を通じては、大学生などが多く関わってくれていて、ぼくはそんな彼ら彼女らと一緒に活動を続けながら、「できるだけ俺を使えるだけ使え!」と言っている。
ここで言う「使え」とはこき使うことではなく、ぼくと一緒の時間・空間を共有することで得たものは、学校のレポートでもゼミの研究でも、就活の話題でも何でも自分ごととして使えよってこと。
特別授業や講演会だけが僕から学生に向けたメッセージではなく、何気無い休憩中の会話や、大学生と一緒に飲みに行ったりした時にも僕はポロポロとそんな話をする。
そんな時、大学生たちが言う。
あーーー、就活どうしよ・・・
ぼくは危うく、え?しないの?wwwって答えてしまうとこだった。
いや、聞いてみた。
僕は就活したことないし、一斉に行われる就職活動の体制に賛成も反対もないけど、この場合しなかったらどうするのかがとんでもなく気になってしまった。
卒業したらどこかで働くようだけど、何ともピンと来ていないらしい。
そりゃそうだろ。
目標を達成する方法に正解はありません
今回の話で、ぼくあが学生のみんなに伝えたいことは一つ。
目標達成に向けての手段は何でもいい。何でもいいけど方法に正解はない
もしね、もしだよ?あなたに本気で行きたい学校や会社があるとして…
試験前日まで1日8時間勉強したら絶対受かるよ?って言われたらどうする?
多分、多くの人が「やる」って言うと思うんだ。
だけど残念ながら、どれだけやったらいいか?という正解は、世界中どこを探しても落ちていないし売ってもいません。
どれだけ勉強したら受かるかなんて約束はありません。
勝負事に安心も絶対もないんです。
就職活動に関しても同じで、これを喋れば受かるとか、この資格があれば有利とか知ったこっちゃない。
だから、結局やる人とやらない人にわかれて、やった人だけが自分の理想の未来を生きる確率が高まる。
やるかやらないかじゃない。やるしかないんだ。
必要なノウハウだけだったら担任の先生や塾の講師、就職支援課の人が教えてくれるだろう。
一般的に言う就職はしないでフリーで生きていくにも同じで、どこまでやればいいか、なんてそもそもない。
むしろノルマがない分しんどい思いもする。
最初の高校生には後々、
「俺は部活引退した後、平日は8時間、休日は13時間勉強したよ。体育大学だから実技もあるし定期的に部活に出て体力の維持もしてたよ。」
と僕がしてきたことを伝えた。
そんなにしなくちゃいけないと思うのか、それなら自分にもできそうと思えるのか。
それは本人の覚悟次第じゃないかと思う。
進学にしろ、就職にしろ、たまに上手くいくことはあっても、楽できる道なんてないんだから。
ただどちらも、ここまでやればってものはない。
最後の最後まで小さな努力を重ねることしかできないのだ。
結局、努力の分だけ花が咲く。
んで、受験失敗とか内定がとれないとか、その時々は凹むかもしれないけど、後々振り返ってみればそういう体験がまた一つ自分を成長させてくれるし、自分で立てた目標に向かって努力したことに本当の価値はある。
綺麗事じゃなくて本当に。
思うような結果が出なかった時に、
「どうせ俺なんて・・・」
「やっぱり私には・・・」
なんて言ってることが一番無駄で、悔しいと思える分だけ努力した証なんだから。
「この大学行きたいけど俺には無理かな〜」(やることやってないくせに)
「この会社は魅力だけど私には通用しないかも」「(やることやってないくせに)
そうやって最もらしい言い訳を並べて逃げることなんて簡単だけど、逃げ癖は頑張り癖と違ってすぐに習慣化されてしまう。
一度逃げたら、逃げやすくなる。
一方頑張り癖は、目標が達成されようがされまいが、何かをやりきった後、また次の目標に向かって走りだすエネルギーになる。
階段に例えれば、大学受験や就職活動のために1000段登ったとしたら、最初に登っている時が一番しんどい。
でも、次また何か別のことに向かって走りだす時は1000段まで登る体力がもう既についているから。
逃げたら階段を眺めただけで一段も登っていない。
つまり、結果がどうとかじゃなくやることには何の無駄もない。
一番後悔するのは、やる前から言い訳を考えること。
目の前にある小さなことをやらずに大きなことだけ語ること。
食べたお皿をすぐに洗わなかった時とかベッドに行かずにコタツで寝てしまったりとか、そんな都合のいい目先の快楽だけで動いてしまうことが一番自分を苦しめることになるからね〜。
長くなってきたのでこの辺で。
気が向いたらまた書きます。
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