海外にいても沖縄の米軍基地に関するニュースは届きます。
ぼくはこの沖縄に関することに対して、何らかの活動に参加することは今は難しいのだけど、今沖縄が、日本が、世界が置かれている状況への意思を表示することはできます。
世界を変えた一人にはなれなくても、自分はこう思う!と表現することはできる。
そんな世の中でぼくらは生かされています。
「県民投票がなされるまで辺野古大浦湾の埋め立ての作業停止を訴えるホワイトハウスへ向けた嘆願署名」に参加しました。
署名した内容に関して
この署名に関する情報はこちらを読んでもらう方が理解できます。
ぼくが下手に書くより、わかりやすいし、誤解もないと思うので。
https://note.mu/tkatsumi06j/n/ndb0592be531d
強制しない。考えてほしいのは自分の行動の理由だけ
ぼくがこの記事で言いたいことは、「今すぐ署名してくれ!」ってことではない。
「なぜ署名するか」「なぜ署名しないか」と、自分の選択のその理由だけでも考えてくれということ。
自分とは関係のないこと、自分とは遠く離れたとことで暮らす人たちのこと。
確かにある人にとってはそうかもしれないし、世の中にはそんなことばかり。
でも、ある人にとっては超自分ごと。
自分がいざ「超自分ごと」に置かれた時、誰かにも助けを求めずに生きていけるだろうか?
「自分たちの地域のことなので自分たちで解決します」と言えるだろうか?
友達の友達(の友達)にもできれば届けたい
ちょっと話が逸れますが、ぼくは今カンボジアに住んでいます。
カンボジアにも家族のように大切な存在がいます。
ぼくのことを昔から知ってくれている人にとっては、多分数年前よりもはるかに「カンボジア」というワードが耳に届きやすくなったはずです。
なぜなら、自分が知っている人(ぼく)が住んでいる国だから。
もし今カンボジアで大規模なテロが起きたら、ぼくの安否を気にかけてくれる人が出るかもしれません。
ぼくのことを考えてくれる時間が増えるかもしれません。
ぼくにLINEを送ってくれる人が増えるかもしれません。
「無事か?」と。
一方日本では毎年、大きな自然災害が起きますね。
その度に、日本人であるぼくのことを気遣ってくれるカンボジア人たちがたくさんいます。
「ユスケの日本の家は大丈夫か?」
「家族は無事か?」
「必要なものはあるか?」と。
多分彼らにも、「日本」というワードは以前よりも耳に届きやすくなっている。
ぼくらが普段耳にする情報は、この例えと同じようなことであって。
自分の身近な人が関わっているかどうかでそのニュースが自分ごとなのか他人事なのかで大きく分けられてしまうと感じています。
もちろんそれだけではないのだけど、多分知っている人がいるかどうかって結構大きい。
だからぼくは、友達の友達の友達くらいまでは届いてほしくてブログを書いています。
行動してくれる人の輪が少しでも広がればいいと思って、言葉にしています。
よく知らないから動かないでいいのか
話を戻して沖縄。
沖縄には、ぼくの大学時代の仲間たちとその家族が暮らしています。
すぐに飛んでいける距離ではないけど、大切な人が暮らす街です。
その街の青い海が、その海とともに生きる命が、大きな局面を迎えています。
最初にも書いた通り。
だからと言って、ぼくは今すぐ沖縄に行って何らかの活動に参加することはできません。
でも、今の事態に対して自分はどうするのか?
意思を表示することはできます。
ぶっちゃけね。
全部1から100までこの事態のことを全て理解できているか?と言われたらNOなんだけど。
それは自分が知ろうとしてなかっただけでもあるし、知らないまま終わったことかもしれないし、知っても知らないフリで終わってしまうことだったかもしれない。
恥ずかしい話だけど、今回の嘆願署名で用いられている「We The People」という電子署名サイトだって、オバマさん時代のアメリカが、しかも2011年に製作されたことすらも、今回初めて知った。
でも幸か不幸か。
自分の大切なく人が暮らす街のことで、こうやって世界に向けて自分の意思を表示することができました。
「自分一人が何か言ったって…」
って思う時もあるよね。
世界のみんなが「俺一人動いたって無駄だよ」って思ったら何も始まらないんだけど、自分が関わる意味があるのかわからないけどやってみた人たちが集まって大きな力が生まれていると思うんだ。
もしかしたら、そうやって世界中から集めた力ですらも力不足の時もあるかもしれない。(想像したらけっこうメンタルきついよね。)
でもやらなかったら何も始まらないから、考えてみてほしい。
「署名する」も「署名しない」もどちらも自分自身で決めた選択であり行動だから。
どっちを選んでもいいけど、その行動の理由だけは自分の頭の中でいいから言葉にしてみてほしい。
ぼくの行動の理由は、さっきも書いた通り、自分の大切な人が暮らす地域だから。
ただそれだけ。
旅人こそ世界を救うんじゃないか
生きている間の時間を使って、いろんな場所へ出かけて、いろんな人と出会って、いろんな考え方や言葉に触れて、いろんな文化や芸術に触れていく。
ただそれだけのことで、大切なヒト・コト・モノ・バショは自然と増えていく。
自分のことを、自分の家族や仲間を、自分の生まれ育った国や地域を大切にしてくれる人も増えていく。
みんなにとっての大切が世界中に増えたら。
そうなれば世界平和とか、ググッと近づくんじゃないかな、とかね。
今は自分から遠く感じる地で起きていることも、いつかは自分の足元にまで及ぶ。
世界は丸いから。
だから今。
自分にできる意思を示したいと思った。
「自分たちの愛だけが自分たちを救えるんだぜ」ってハイスタのKENさんも叫んでいたから。
ぼくも自分の行動は愛を持ってしたい。
それだけ。
▼とりあえず一回読んで欲しい。
読んで、自分はどうするかを自分の頭で考えてほしい。
https://note.mu/tkatsumi06j/n/ndb0592be531d
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