カンボジアにすっかり定住中の北川勇介(@yusukeworld_)です。
今年は「生活の舞台をカンボジア以外に持っていくこと」を目標の一つにしています。
移動生活再び?
引越しであろうと、帰省であろうと、旅であろうと、通勤通学であろうと、移動の際に多くの人が手に持つのがカバンですね。
猫のように手ぶらで生きていくことができたらいいのにって、飼い猫のゴン太を横目に見ながら、この記事を書いています。
関連:猫になりたい
自分の生活をつくる時間の使い方
人は何らかの目標や理想を持ちながら生きています。
「〇〇したい」とか「〇〇になりたい」みたいなもの。
でも「生活の全てがその実現に向かっているか?その実現のために何をしているか?」と聞かれると、あまり即答できる材料は持ち合わせていない。
これ、少し前のぼくです。
「忙しい」とか「大変だ」とか、何にそんなに忙しいのか、何がそんなに大変なのか大した言葉にもできないくらい。
仮に言葉にできたとして、「それは自分の理想の実現のために本当に必要なのか?」と言われたらそんなことないわけです。
それでもぼくらは紛れもない毎日生きていて、毎日何かに時間を使っています。
きっと大したことないことに使ってきた時間も多い。
そんなの嫌だ。
毎日やっていること毎日持っているもの
毎日やっていること
ぼくが毎日やっていることと言えば、ブログとクメール語(と英語をちょっと)とデザインとWebライティング。
これを毎日、自分の店(@basecamp_kt)に出勤してやっています。
毎日持っているもの
毎日持ち歩いているものはパソコン、カメラ、ノートなど、まぁ細かくいえばこれに付随したガジェットなどが細々とあるわけですが、これらを管理しておくためにカバンがあります。
そのカバンに「何を詰めるか?」は、結構な確率で「どう生きるか?」にも繋がっていると思っていて、余分なものを持てばやっぱり余分なことにも時間や労力やお金も使いやすくなってしまうんだろうなって感じます。
カバンが人生を作る
つまり、カバンも含めて、カバンの中に詰め込む“物”の選び方は、人生に大きく影響するんじゃね?って話です。
それを大雑把にいうと、今回のタイトルの「カバンが人生をつくる」に行き着くわけですね。前振りが長いな相変わらず。
詰め込むってことで言えば、自分の頭の中に入れる「情報」も同じ。
自分の人生に集中するためには、情報も取捨選択が必要で、取捨の「取」は有益な情報をキャッチする力。
一方で「捨」は無駄なノイズを遮断する力。
超情報化社会と言われるようになって随分経ちますが、ぼくらは毎日毎日嫌でも情報に触れています。
だから、どちらかと言えば後者の「捨」が大事だったりする。
それが“物”になれば、断捨離て言葉がわかりやすい。
要するに、今まで当たり前に必要だと思っていたものすら、必要かどうか一度疑ってみることから始めるといい。
例えばぼくは、人のカバンの記事とかを読み漁るのが好きなんだけど、結構な確率で「折り畳み傘」を持っている人を目にする。
その「折りたたみ傘をカバンに入れておくと便利」って言っている人の情報に触れた時に、
「便利そう」と思ってポチるのも一つ。
「俺には必要ね〜」と思って持たないことも一つ。
同じ情報に触れても「お!いいね」って反応をする人と「それいる!?」って反応をする人がいる。
大切なもの、必要なものは人それぞれだからです。
ってことはやっぱり、人が同じように選ぶかもわからないそれを選んだ「ソノ物」は、選んだ人の人生に影響を与えます。
手放すしんどさを知る
「断捨離」って言葉が何年か前によく聞こえるようになりました。
実際にぼくも、私物を大掛かりに断捨離した一人です。
で、「断捨離」って言葉だけが目立つと、ものが少なければいいとか、捨てればいいとか、そういった行為の一部にだけスポットが当たってしまうけど、断捨離したら物が減るってのは当たり前の行為なわけです。
肝心なのは、捨てるとか手放すとした先の自分の生活はどうなるかということ。
ぼくは、大掛かりな断捨離をしたことで、「選ぶことの責任」を知りました。
自分が書いたくて買ったはずの物は、気づかない間に不要なものになっていた。
気持ちの上っ面では「う〜〜〜〜捨てにくいな〜」って思っている本音は、本当に大切だからですか?
「これ高かったんだよな〜」
とか、そんなもんじゃないですか?
まぁ理由は何だっていいんですが、そうやって渋りながら手放すって相当しんどいです。
そのしんどさを知ったところが実は始まりというか。
そんなしんどさを味わいたくないから、次に手をする物の選び方が慎重になる。
これこそが、断捨離によって得られる意義のある効果では?とぼくは考えています。
選ぶことの責任を感じると人生が楽になる
この感覚を知ると、仕事とか人間関係も楽になりますよ。
この感覚があれば、やりたくもないことに手を出さなくなります。
なぜなら、仕事とかも同じで「辞める」って言う時がかなりしんどくないですか?
あと、辞めたりするの悔しい時もないですか?
なんか投げ出した、逃げ出した、根性なしみたいな感覚。
ぼくは一度始めたこと、なかなか続けられないし、割とすぐ嫌になるし、面倒になったり飽きたりします。
でも「言っちゃったから辞められない」も苦しいわけです。
いい顔して安請け合いしていると、ただのいい人になって、消耗して終わります。
だったら始める前に、本当にそれを始めたら、頑張って続けたら、未来の自分は笑っているか?を想像してからでも遅くないと言うことに気づいたんです。
これも自分の人生の軸に沿って生きる大切な考え方である、と。
まとめ
さて。話がだいぶ飛躍しましたね。
カバンの中から始まり、情報に話が飛び、最後は仕事や人間関係まで。
相変わらず散らかしっぱなしの記事のようですが、割と言いたいことは一貫しています。
「その選択や行動の先に、希望はあるか?」
カバンの中一つとっても、あなたの選択や行動があふれています。
持ち物を定期的に見直すってことは、自分の考え方や行動を、ふと見直すタイミングでもあるのだということが今日の言いたいことでした。
ぼくは今、22Lのリュックで日本に帰る方法を模索しています。
では、また明日!
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【書きました】
普段、何気なく手に取っているカバンと、その中に何を詰め込むか?は結構人生に影響与えているんじゃないかって話。 pic.twitter.com/X5DZlOmf53— 北川勇介🇰🇭今年みらいスクール3周年 (@yusukeworld_) 2019年1月16日
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