ブログ記事移行中▶︎「NEWストライクゾーン」

カンボジアにビジネスやキャリアに繋がるチャンスとか可能性を感じて来た訳ではないってことはハッキリ言っとく

当サイトでは、アフィリエイトリンクを使用して商品の紹介を行なっております。

タイトル通りです。

「何やってる人ですか?」って言われてカフェとかものづくりとかツアーとか写真とか文章とか学校のこととかとかとか答えます。

「それ儲かるんですか?」
「なんでカンボジアでそれやろうと思ったんですか?」
と聞かれるのですが、カンボジアで何かしたら儲かると思って来た訳でもないし、カンボジアの子ども達を守りたくて来た訳でもないです。だから儲かるとかマーケティングとかキャリアアップとかよくわかりません。

カンボジアへ来た理由

カンボジアへ来た理由は

  • 教員(前職)やめることになった
  • 辞めてどうするのか聞かれた
  • ふと脳裏にカンボジアって浮かんだ
  • どうせ行くなら現地の教育みたいな
  • 来た

そんな感じです。

カンボジアで初めて泊まったゲストハウスの部屋

初めての1人海外。トランジットにすらドキドキしながら、初めてカンボジアの地に降り立ったのは2013年のこと。この頃は、まさかぼくの人生の中でカンボジアという国が大きくなるとは思いもしなかったです。

大学を卒業してから、公立高校へ4年間勤務。なりたかった体育教師の道から外れて、全く興味もなかった海外での生活。どうせまたすぐ日本で先生やるって思っていました。

カンボジアのトゥクトゥクに乗っているところ

ただ安直に、言葉の通じない国での小学校ボランティアという体験を糧に、もう一度日本の教育現場へ戻るつもりだったんです。そんな体験で簡単にレベルアップできるいうイタイ思い込みをしていた頃でした。

とりあえず海外来ておけば勝手にレベルアップも、何かしらのキャリアに繋がるも全てまやかしです。そこで自分の頭で何を考えて自分の心で決めたかがないと何も意味なさない。

カンボジアに小学校を建てることになった理由

で、まさかのまさかでカンボジアに小学校を建てることになりました。簡単な経緯としては学校がある村もない村もいろいろ見に行きました。その中で出会ったのが今でも関わりのあるロンデン村でした。

  • ロンデン村には小学校がない
  • 通う子は遠くの学校へ通っている
  • 通わない子は通わない
  • 通っていた子が交通事故で亡くなった
  • 学校へは行ってほしいけど危ない目に遭ってほしくない
  • 近くに学校があったらな…
  • 作るか!

ざっくり書くとこんな感じです。「カンボジアに小学校建てたいんですけど何からしたらいいですか?」って言う人は自分の足で歩いていろいろ見てみてください。

カンボジアにいる理由

で、気付けばカンボジアの小さな村とか変わり始めて5年目を迎えていました。

ぼくが残り続ける理由、それは目の前のリアルが未だに置き去りにはできないから。

  • 学校のない村に出会ったことも
  • 学校に通いたい子ども達との出会いも
  • 学校に通わせたいけど困っていた大人との会話も
  • そこに小学校を建てることになった約束も

置き去りにできないから、自分には何ができるかと思ってやっただけ。自分のキャリアのためとか人からどうみられたいとかそんなもののためだったらここまで頑張れなかった。

建設した小学校の開校式で子ども達が心配そうに「この先も学校に通うことができるのか?」を聞いてきた。

正直、そんなのやってみなきゃわからない。

ただ、ほんの少しのきっかけで運命が簡単に変わってしまうこの国で、子ども達の未来を見て見ぬ振りはできないと、その時改めて感じた。だからまだ置き去りにできずにいる。

カンボジアに小学校を建設したあとは何をするのか?

カンボジアで仕事をつくった理由

で、今年はカンボジアでコーヒー屋さんをはじめました。理由は二つあって

  • 開校式でふと投げかけられた子ども達からの言葉が忘れられなかったから
  • お世話になっているゲストハウスの人たちが子ども達のためにも一緒に働かない?と声をかけてくれたから

最初にも書いたように、ここカンボジアへは「何かをしたくて来た」わけではないです。お金儲けのためでも学校を建てるためでもないです。でも建てた今でも子ども達の将来の不安は消えなくて、それを気にかけてくれる人がいる。

だから、縁があった人たちと共に生きていく覚悟を決めました。

自分がやろうとしたことでカンボジアの人たちを利用するのではなく、縁があって関わったことで知ってしまった彼らの現状を少しでも好転させるために。

だからきっと遠回りもするし、余分な苦労だってあるかもしれない。でも、やらなきゃよかったなんてことは今のところ一度もない。

そこに損得も計算もなく、ただただ家族のように受け入れてくれた村の人たちがいたから。

ぼくは、血の繋がっていない家族のことを、ぼくなりの方法で大切に守って一緒に生きていきたいと思います。

そしてその方法は支援でもボランティアでもない形でありたい。だから引き際も大切にしたい。

まとめ

何も成し遂げることのないまま、デタラメのように思われることばかりを口にしていた時代から、応援してくれている人たちがずっといます。

その人達に、ぼくが見ている世界をこれからも届けたいし、その目で見てもらいたい。独りよがりで、思いがけず始まったこの海外生活。

もちろんしんどいこともあるし、思い通りいかないことも、想定外もあります。

でも、ビジネスの可能性を感じてやって来たわけでも、カンボジアの子ども達の力になりたかった訳でもなくて、この国にいれば勝手にキャリアアップできる訳でもないです。

何となく来てみた、来たら置き去りにできなかった、まだできなかった。それが理由です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です