思ってた以上にいろいろ大変な2020年ですがみなさまいかがお過ごしでしょうか。大変な時だからこそ次の10年間でもっと人や社会に優しい行動ができるようになりたい。そう思いましてこの10年間をザッと振り返ることにしました。
2010年
社会人2年目。高校の体育の先生やりながら野球部のコーチをしていたころ。この年のハイライトは高校野球夏の大会でシード校を倒したこと。自分の高校時代は3年間で一度も夏の大会で勝てず校歌を歌ったことがありませんでした。強豪私学をやっつけて、母校の校歌を歌わせてくれた教え子であり後輩には本当感謝。三回戦で当たった私学に僅差で敗退。勝たせてあげられたなぁと後悔の残る夏。
2011年
社会人3年目。同じく野球漬けの毎日。この年のハイライトも高校野球。
- 夏の大会で延長15回引き分け再試合
- 帰り道台風の影響で東名高速道路が通行止め
- 迂回して帰って学校到着は深夜12時
- 翌朝5時再出発予定で集合するも雨天順延
- 順延後の再試合で最終回逆転サヨナラ負け
この試合は監督代行で指揮をとったこともあり何度も夢に見る。最後の判断、自分を信じていたら同じ結末にはならなかったかもしれない。この経験が生きて、新チームの選手たちが躍進。県大会ベスト8まで上り詰めて21世紀枠候補にまでなりました。みんな本当よく頑張った。
2012年
社会人4年目。年が変われば目の前の生徒たちも変わるのに、うまくいった過去の指導方法に固執してなんとなく生徒と距離ができ始めた頃。理解させられない自分の指導力不足を、怒鳴ったり手挙げたりしてわからせようとしていた悲惨な時代。自分が一生懸命になる程どんどん周囲が見えなくなっていた。当時の子達、ごめんよ。
この頃の指導力・人間力不足がきっかけで人生が大きく変化することになる年。日本と野球から離れて生きていくことになるなんて思ってもいませんでした。
2013年
年度末、指導方法にクレームが上がり退職を決意。このまま現場にいても不幸な思いをする生徒を増やしてしまいそうなので、わからずやな指導者の根性叩き直すいい機会だと思って単身海外へ。
- カンボジアで小学校ボランティア
- インドのマザーハウスで介助ボランティア
などをして帰国したら、もう教育現場に戻らなくていいかなって気持ちになったけど、いやでも野球やりたいぞって迷いもあった。じっとしていてもわからないので、京都から東京まで歩いてみることにしました。結論としては「もう一度カンボジア行ってみるか」で行ってみたら学校を建てることになりました。
この時、多くの人がバカか、やめろ、意味ないと言っていましたが、今の大切なものや感覚があるのもこの時の判断があってこそなので自分の気持ちに従ってよかった。
2014年
とは言っても「カンボジアに小学校を建てる」ことで飯は食えません。めでたく「どこにも所属しないのにビジネスしたことない人間」が誕生しました。2013年中は失業保険とヤフオクで乗り切りましたが、いよいよヤバイぞって焦っていた頃。
アルコールでしぼんだ脳みそで考えた結果「ヤフオクで売るものがないなら人から買い取ればいいんだ」ということで、古物商を始めることにしました。最寄りの警察署で申請したら誰でもリサイクルショップ始められます。
2015年
年始早々に始めたクラウドファンディングがサクセスして300万円の資金調達に成功。これでカンボジアに学校が建てられる。と意気揚々に乗り込む直前に投資で騙されて450万円を失う。(クラウドファンディングとは別のお金ですよ)どうしましょう。
10月からカンボジア入りしてついに学校建設開始。ブログやTwitterを多くの人に見てもらえて現場まで来てくれた人も多数。ありがとうございます。
2016年
3月にカンボジアの小学校「みらいスクール」が完成。8月にトイレが完成。10月に開校式をして11月1日ついに開校。1人目の生徒が歩いて来たときは涙が止まらなかった。やってよかった。
この1年間は本当に日本とカンボジアを行ったり来たりしながら、学校のことだけでなく人生でやりたいことが続々と形になっていった充実の1年。
2017年
前年に建てた小学校は、たまに様子を見にきて必要があれば手を差し伸べてという関係になるかと思いきや、いろいろあって1年間のほとんどをカンボジアで過ごした年。なんだかんだゲストハウスで暮らしてきたけどついにアパートを借りてしまったのもこの年。カンボジアにいたかったと言うより理由つけて日本にいたくなかったんだと思う。
子ども達が描いた絵をシルバーのネックレスにして学校で何かあった時に使う資金が賄える仕組みを作ったり、シティゲストハウスの金子さんたちとカフェをオープン。あと結婚もしました。
2018年
年が明けてすぐ確定申告のために帰国。あと離婚もしました。
カフェをオープンしたことで感じた「働きたいのに働けない人たちとの共存」をテーマにBASECAMPプロジェクトを始動させたものの全然うまくいかず苦しんだ1年間。やればやるほどお金なくなっていくし何も進まないし、何かしたいのに資金もないしと本当に辛かった。結局カフェも1年でクローズ。
いろいろ振り返ろうと思ったけど、この年は「本当しんどかった」しか出てこない。
2019年
一言で言うなら「原点回帰」の1年。前年の絶不調の流れを消し去るべくとにかく動きまくった。
- BASECAMPの店舗を移転して店名変更
- メディアもあれこれやらず一点集中
- カンボジアにずっといないでたくさん飛行機に乗る
これまで大切にしてきたことをもう一度見直して、目の前のことを丁寧にやるようにしたら流れがよくなりました。
まとめ
ということでこの10年間を振り返ってみました。
過去から学び、より豊かな未来が実現できるよう、ちょっと大変な今をしっかり生き抜こうと思います。明日からは4月。何かとバタつくと思いますが、早く世の中に平穏が戻りますようお互い体に気をつけていい毎日を積み上げていきましょう。10年先も生きていたらまた振り返ります。