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カンボジアに小学校を建設してよかった10のこと

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カンボジアに小学校を建設してよかったこと

こんにちは、カンボジアに小学校を建設した北川勇介です。2016年11月1日みらいスクールが開校しました!関わってくれた人全員に感謝です。

工事期間は、2015年11月から2016年3月までのおよそ4ヶ月ですが、やると決めてから校舎の完成までは2年半、開校までは3年もかかってしまいました。

カンボジアの小学校建設に限らず、海外でのボランティア活動には賛否両論が付き物ではありますが、タイトルにもあるようにぼくは結果としてやってよかったと思っています。

今回は実際に何がよかったのか、まとめてみました。

ザッとまとめると…

  1. 学校がなかった村に学校があるという事実
  2. 自分の言葉で伝えられる事実が増えた

1. 学校がなかった村に学校があるという事実

挨拶をする地区長

ランキング順で紹介して行くわけではありませんが、一番はここです。

「カンボジアに小学校を建設した」という実績見たいなことは正直どうでもよくて、「カンボジアに小学校を建設してどうなったか?」ということの方がはるかに大事です。

  • 小学校がなかった村に小学校ができた
  • 学校に通いたくても通えなかった子ども達が通えるようになった

非常にシンプルですが、この事実がぼくの目の前にはあります。

そして、この事実をこれからも守っていくために、今のぼくがあります。

 

「建設したのに放置」とか「子ども達は通っていない」とか、ネガティブな事実を抱える場所もあります。

関連記事:カンボジアの小学校建設は本当に必要なのか?

 

2. 自分の言葉で伝えられる事実が増えた

冒頭でも書きましたが、賛否両論のある「海外ボランティア」。

ぼくは自分がやっていることを「ボランティア」とは思っていませんが、周囲から見たらそのような位置付けになるのかもしれません。

実際に自分の足で動いて、自分の目で見て、人と話して、感じて、動いてみたことで、ぼくはぼくの目線で伝えられることが増えました。

ネットにもどこにも書いていない、ぼくだけの事実です。

「出た!カンボジアに学校!www」とか言われた時期もありますが、やってみたことと、やらずに知った気になっていることでは大きく違います。

やってみた人が「無意味」って言うのはわかりますが、ぼくは基本的にやったことないことは知らないことだと思っているので、関わってくれた人には「就活のため」なんて言わせず、「自分の人生のため」に役立つことを感じ取ってもらえるように接しています。

 

関連記事:【全額公開】カンボジア小学校建設費用まとめ。ぶっちゃけいくらかかったの?

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3. リアルをより一層大切にするようになった

自分が知っている事実をありのまま伝えるように意識し始めてから、あまり情報に流されることがなくなりました。

自分がいいと思ったことはとにかくやってみるし、興味がなければ「オイシイ話」に感じても手を出しません。

いいと思うことは「なんで?」「どうして?」と自分に問いかけることで、本当に自分が望んでいることが見えてくるし、興味がわかないことに対しても「なんでこんなにワクワクしないんだろう?」って考えるようになりました。

 

あとで書きますが、結局「やる目的」がわかっていれば、全てに意味があるのだと思います。

 

そして、やってみたことを、やってみたまんま情報として出していく。

 

そこには成功事例だけでなく、失敗談や改善点(こうしときゃよかった的なこと)が多くあって、むしろ世の中に何かを排出するのであれば、そちらの方が大切なのかなって思います。

 

スポーツの解説とかでよくありがちですが「現状報告」は誰でもできます。

 

いわゆる結果論というやつです。望む結果に繋がるために「自分はどうしたのか?」「どう考えているのか?」の方が生きた情報だということです。

 

「今のが打てなきゃダメですね」っていう解説者の野球中継は、観ていて何もおもしろくないです。

 

関連記事:日本の統廃合した小学校で使われなくなった机・椅子・黒板をカンボジアまで運ぶつもりでしたけどダメでした。

 

 

4. 行動範囲が広がった

カンボジアの小さな村に大切な子ども達がいるので、ぼくの行動範囲の中で「カンボジア」は非常に近くなりました。

会いに行きたい時に会いに行けるように準備をしておく。

これが今のぼくの、生活の基準になっています。

「ちょっとそこまで」って今よりもっと気軽に行けるくらいにしたいし、なんなら住んでしまいたいくらいです。

その実現のために自分の身の回りを整えることに、最近は特に力を入れています。

 

関連記事:ライフワークバランスを考え抜いたミニマリストバックパッカーのカバン・持ち物選び

 

5. 多くの人と出逢えた

開校式での集合写真

みらいスクールの建設中は4ヶ月で123名、トイレを建設していた時は3週間で69名の方が、実際に現地まで足を運んでくれました。

関連記事:【御礼】モイ・ピー・バイ(1、2、3)!カンボジアに小学校を建設するために手伝ってくれた123名の方々へ

 

もちろんその中には、もとから友人・知人だった人もいますが、「ブログ読んでました」とか「Twitter、Instagram気になってフォローしていました」って言ってもらえることもあって、カンボジアの小学校建設がなかったら出逢えなかった人たちと出逢えたことは、ぼくにとって大きな財産です。

 

建設後もサポートしてくれる方がいたり、講演やラジオの出演の依頼をいただいたり、個展ができたりと、ぼくが見て来た「リアル」を、インターネット上だけではなく現実世界で伝えることができる時間・空間をいただきました。

 

関連記事:【報告】カンボジアのみらいスクールへ机と椅子が届きました

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6. 「できること」が増えた

子供達との集合写真

多くの人たちと出逢いが増えたことで、「できること」が増えました。

これは単純に、ぼく個人としてのスキルだけでなく、仲間が増えたことによって、お互いの持っている長所を出し合って、よりいいものを生み出そうとするプラスの連鎖が広がったことです。

 

カンボジアに小学校を建設するために活用したクラウドファンディングも、まさにそうでした。

関連記事:カンボジアの小学校建設費用はクラウドファンディングを活用しました

 

できないことをできるようにすることも大切だけど、できる仲間を見つけた方が早い。

 

これは、何でもかんでも一人でやろうとしてしまうぼくにとって、相当衝撃的な体験でした。

 

お互いの足りないところを補おうとすることで、自然とお互いを大切に思える。そんな損得抜きの、目的縁で繋がった関係性の仲間が増えました。

関連記事:カンボジアのフリースクール、孤児院にも関わっていくことになった話

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7. 「おかげさま」の意味がわかるようになった

楽しいひととき

自分にできないこと、難しいことを助けてくれたり、手を取り合える人たちが増えたことによって、自分の目的のためにどれだけ多くの人たちが動いてくれているのかを考えるようになりました。

 

それは日本人だけでなく、カンボジア人にもです。

 

ぼくらがカンボジアで何かをやろうと思っても、なかなかそう簡単に行くことばかりではありません。

 

その時に力を貸してくれるのは、現地のカンボジア人達です。

豚の調理

「ユスケがカンボジアの子ども達を守ってくれるから」って彼らは言ってくれますが、ぼくがやろうとしていることができるのは、まさしく目の前にいるカンボジア人達の協力が大きいからです。

 

関わっている村の大人以外にも、カンボジアで出会ったカンボジア人達はあの手この手でぼくを助けてくれます。

 

「おかげさま」でぼくは、やりたいことを確実に前に進めています。

 

関連記事:「カンボジアでボランティアしたい」って言うけど本当にボランティアしているのはだれ?

 

8. 恩送りを考えるようになった

いろんな人の力を借りて、ぼくはやりたいことができているので、ぼくの力も誰かのために使いたいと思えるようになりました。

 

自分の人生が思い通りになればいいのか?

自分が関わっている村だけ順調ならそれでいいのか?

今があるのは誰のおかげなんだ?

 

そう考えたら、「子ども達に会いたい時に会いに行くため」という自分の目的のためだけに働くのも違うかなって思うようになって来たんです。

 

同じように海外で生活をしたい人、何かアクションを起こしたい人にとっての力になることができるんじゃないか?と考えています。

 

このブログはその一つでもあるし、誰かの「やりたい」を応援することはもともと生きがいに感じていたことだったし、だから教師になることも志したんだろって思い出しました。

 

ぼくがカンボジアに学校を建てようとしていた時って、簡単に情報がもらえなかったりあってもらえなかったり、いろいろありました。

 

今では「お話聞かせてください」って言われることも増えて来ました。

自分が求めていたようなリアルな情報を求めてる人たちに届くメッセージや、実際に会う時間をこれからは作って行きます。

 

関連記事:カンボジアにおける支援活動を考える団体や組織へサポートします

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9. 目的を意識するようになってスピードが増した

ぼくは、もともとやりたいことが多い人間でしたが、最近は「やりたいこと」を進める時に「何のために?」という目的を強く意識しています。

 

それによって同じ「やりたいこと」「やらなくてはいえないこと」でも「緊急性」や「重要性」を見極めることで、行動の優先順位が明確になりました。

 

行動できない時って「何からしていいかわからない」という状況の時が多い気がします。ぼくの場合。

 

まず、何を差し置いてもやらなくてはいけないことがわかっていれば、それをなるべく早く終わらせることで次へ行けます。

 

目的と順番を考えたことで、行動に移すスピードが上がり、先延ばしにしないことで、さらにやりたいことに時間を注ぐことができるようになりました。

 

関連記事:例え準備不足だとしても、時が来たと思ったら行け!

 

10. 「大切」の基準が上がった

いろんな経験や出会いから多くの学びがあって、できなかったことができるようになって、実際に自分でやってみて考えられるようになったことが増えました。

 

その結果、ぼくの「大切」の基準が上がりました。

 

ひと、こと、ものに対して、「大切」は思っているだけでは伝わらないし、伝えようと思っても伝えられなくなる日は急に来るかもしれません。

 

時間的、経済的にできることへの差はあっても、全力で気持ちを伝えることは怠ってはいけないし、できることからやるしかないんだと考えています。

 

「親孝行できるようになる頃には親はいない」と言われるように、自分の中の基準で「これができるようになったら」「こうなったら」って思っていても、それが実現できた時に大切な人は側にいないかもしれません。

 

だったら、今伝えられること、できることの全てをぶつけていくしかないのだと思います。

 

あと、「人のため」って一度でもしたことをしなくなること、できなくなることが一番罪だと思います。

 

自分の気持ちや状況だけで「やる・やらない」を決めていては、本当の気持ちは伝わりません。

 

できないことはやらないし言わない。その代わり、今できることで周囲を明るくすることを続けていこうと思います。

 

カンボジアの子ども達に、村の人たちに伝えた「みんなのこと守るから」。

 

この言葉がウソにならないように、目の前のことを大事にできるようにさせてもらえました。

 

まとめ

長文最後までお読みいただきましてありがとうございます。

 

ぼくらがカンボジアに小学校を建てたところで、世界はおろか、カンボジアの情勢だってちっとも変わっていません。

 

地球からしたら、「そよ風」にもならないくらいの小さな行動だったんです。

 

そんな小さな行動の中には、かけがえのないほど大きな出会い、体験、学びが詰まっていました。

 

「カンボジアに小学校を建設してよかったこと」は、結果として自分の甘さに気付かされたり、人生を豊かにしてくれるきっかけが溢れていたことが一番なのかもしれないです。

 

そして、カンボジアの子ども達にとって、それまでなかった「通学」「進学」という選択肢が増えたこともです。

 

なかったものを作った責任を果たすまで、ぼくはぼくの人生を生きようと思えました。

 

カンボジアに小学校を建設してみて本当に良かったです。

 

人生に無駄なことはないのだと、胸を張って言えます。

 

カンボジアのために何かしたように思われがちですが、人生与えてもらってばかりで、命の使い方を考えさせられました。って話です。

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